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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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島原遊郭ぞめき 太夫道中4

島原遊郭ぞめき 太夫道中4_f0347663_11023528.jpg
                  昭和に太夫、芸妓を輩出した青木楼

田中泰彦編『京都遊廓見聞録』に昭和二十二年、十月十七日の「太夫道中道しるべ」、が載ります。本来の太夫道中は例年四月二十一日、なぜ十月十七日なのか、翌日の京都新聞を調べたものの道中には触れていません。

しかも戦後僅か二年、まだどさくさにあったこの時期、絢爛、豪華な歴史絵巻を再開を望めるものか?遊廓に対し大変厳しい目を向けたGHQの監視の中、いわば遊女の行列などを催せる環境があったか甚だ疑問です。

実際戦後、初めて道中が行われたのは昭和二十四年四月二十一年で間違いないと思います。翌日の京都新聞に

「京洛春の行事の一つ、島原太夫の道中が二十一日午後三時同くるわ中ノ町の組合事務所を出発、きんらんどんすの帯しめて二貫目の髪かざりに目もさめるようなアデ姿、一貫目もある黒塗のゲタで八文字を踏みながら、うららかな春の陽の下をくるわ内約二時間にわたって練り歩き、いま売れッ子の太夫尾上がカサ止めを勤めた=写真はしゃなりと太夫道中」

の記事が載ります。さらにこの時出された『島原太夫道中しるべ』に昭和十二年以来、十二年目の太夫道中と書かれているので、戦後初の島原道中は昭和二十四年で断定できます。

2017月7月16日付記、昭和二十一年の九月二十日の新聞によると、前日の十九日、十年ぶりに島原太夫道中が催されましたので上記訂正させて頂きます。

また、昭和二十四年版「島原道中みちしるべ」に載る吉川観方談「時代考証について」は田中泰彦著『京都遊廓見聞録』の「時代考証について」とまったく同じ、なぜ『京都遊廓見聞録』が吉川観方の名を省いたのか不明です。ちなみに同書で、その後無記名で載る「島原太夫道中見物記(大正十四年)」も『技芸倶楽部』の抜粋でした。こちらの著者は(鹿)と文末にあるので、中神鹿城だと思います。

さて、昭和二十四年の道中の構成は

花くるま、十二年の芸妓と二人の後見芸妓

寛永・正保時代 禿 幸子、太夫 久長、太夫 登美若、太夫 三枝

万治・寛久(寛文の誤記)時代、太夫 ひろ子

貞享・元禄時代、太夫 登美丸、太夫 登美加

享保・元文時代、新造 千恵子、太夫 富鶴

安永・天明時代、新造 清子、太夫 久若

文化・文政時代、新造 喜久長、新造 梅千代、太夫 万子

戦後三回行われたと思われる太夫道中の特徴は、吉川観方の時代考証の元、前半に、江戸時代三百年間の女子の服装の移り変わりの順序を芸妓が太夫に扮装して、見せるもの、後半が、過去の道中と同じく現役太夫による太夫道中でした。

ちなみに上記の芸妓の内、ひろ子、登美丸、富鶴、登美若は、実際行われなかった昭和二十二年の「島原太夫道中しるべ」にも顔をだします。この道中しるべには、吉川観方を吉川籐方としており、混乱に輪をかけています。



by gionchoubu | 2016-08-07 11:03 | 島原遊郭 | Comments(0)