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五番町ぞめき 七_f0347663_15174606.jpg
左(現イズミヤ)が喫茶マリアのあった場所

私が千中(せんなか)こと、千本中立売に住んでいたのは昭和50年からの4年間で、ここで大学生活を送りました。水上務の『五番町夕霧楼』は読んでいたので、ここが五番町の遊廓跡のすぐ傍と知っていましたが、別にそういった雰囲気は感じ取られず、ただ、やたら個人経営の飲み屋や喫茶店が多い町だと思ったぐらいです。

木村聡著『赤線跡を歩く、完結編』を開き、当時青山均さんが撮られた写真を見ると、大和楼や石梅楼といった貸座敷の建物を含め、まだまだ残っていたはずで、私も数え切れない程その前を通ったのですが、全く記憶にありません。今考えると写真の一枚でも撮っていたらと悔やまれるものの後の祭りです。

旧五番町遊廓内で覚えているのは、元五番町の検番跡に建てられていた成人映画専門の千本日活と、餃子と肉団子定食を良く食べた、カウンターだけの中華料理屋、ぎょうざ天国ぐらいです。スッポン料理の名店、大市は覚えていますが、遊廓の区域の先になります。

こちらも遊廓区域外となりますけれど、むしろ西陣京極がいい雰囲気をだしていました。筋を入るとすぐ左に食堂兼、喫茶店のマリアがあり、異常に朝早くから営業していました。朝六時には開いており、競馬新聞を読んでるおっちゃんがコーヒーを啜っていました。当時湯豆腐定食が天羅つきで350円でした。

筋をはさんだ向かいに太陽軒という小さい中華料理店もありました。当時、京都で冷麺が有名だったのは今出川の太陽軒です。ところが雑誌の取材の記者が、西陣京極の太陽軒に間違えて取材にこられ、たまたまそこに居合わせた私がその様子を見ていると、当然雑誌側にたいする店側の応対がちぐはぐなもので、私も、あの太陽軒はここではありませんよ、と言うのも憚れ、随分居心地悪かった記憶があります。この太陽軒の冷麺はその後ちゃんと、その雑誌に載っておりました。

さらに進むと突き当たりの手前右、照明なしの暗闇で一階はソファー、二階に桟敷のような、矢張りソファーの椅子が無い不思議な喫茶店があり、がんがんプログレッシブロックのレコードをかけていました。当時ロック側からジャズに接近した音楽をプログレッシブロックと呼んでおり、エマーソン、レイク&パーマーが代表格、逆にジャズからロック側にアプローチしたものをクロスオーバーというジャンルで呼んでいました。ベイスギターのスタンリークラークが好きでした。それにしても今なら消防法で絶対通らない、ほぼ暗闇の喫茶店でした。

西陣京極には西陣キネマと西陣大映という成人映画館あり、西陣キネマは洋物専門でした。さらに千中ミュージックというストリップ劇場もあり、若手の登龍門の劇場と噂されていました。今考えると、一流の踊り子は決して出ない、という意味だと思います。

千中ミュージックのすぐ先に今も現役の京極湯があります。学生の噂では、ストリップの踊り子がその京極湯によく訪れるとの情報が飛び交っていました。ただ私を含め、誰も千中ミュージックに行ったという話しは聞いたことがありません。

私たちが行ったのは千本日活の方で、当時300円でした、先日前を通ると現在も500円で入れる様です、日活ロマンポルノ、東活、大蔵映画などが頭を過ぎります・・・続く



by gionchoubu | 2016-07-28 15:21 | 五番町 | Comments(6)
Commented by やまね at 2018-11-02 22:56 x
ちなみに プログレががんがんかかって 紫のシャギーカーペットの喫茶店はどらっぐすとうあ・・というロック喫茶です。保健所から許可が下りなかったとかで 料金てものはなく カンパ制でした。二階というか中二階ですが靴を脱いで上がって それも階段ではなくて梯子w 照明は床に埋め込んだ丸いすりガラスの中に蛍光灯が埋め込まれてて それがテーブル代わりでした。私の部屋は七本松中立売下がるだったのでよく行きました。当時クーラーの無い部屋だったので(当時の学生は当たり前)暑くてたまらなくなると西陣キネマの水冷式クーラーの前に寝にいきましたが いきなり股間触られたりで 追い払うのに難儀した覚えがあります。千中ミュージックも焼けて無くなり 千本の商店街も屋根が取れてシャッターが目立つようになり昔の面影は無いですね。千本今出川下がったところのスーパーで買った寸胴鍋は数十年たった今でも現役です。
Commented by gionchoubu at 2018-11-03 12:36
> やまねさん
そうでした、どらっぐすとあ、みたいな名でした。当時ジャズ喫茶もよくいきました。55番街、インパルスそして雪平鍋で煮こんだか、信じられないほど苦い珈琲をガンガンかかるジャズのもとですする蝶類図鑑・・・ちょっとおしゃれな丸太町のサンタクロース・・・

私の部屋ももちろんクーラーなしで西日が差すへや・・・耐えきれないので当時学生が試みた冷蔵庫の扉開けて扇風機で冷風を送る・・・全く効果なし。
冬はコタツの電熱機で暖をとる・・・

西陣京極全く昔の面影ありません。あのあたり良い雰囲気の居酒屋もあったのに残念です。
Commented by やまね at 2018-11-04 11:23 x
河原町四条の蝶類図鑑は常連でした。あと 四条烏丸のマンホール 河原町三条のビッグボーイ 荒神口のしあんくれーる みんな無くなっちゃいましたね。学校が近かったので放課後は遅くまでねばってJazz漬けの日々でした。かなり前に河原町今出川のほんやら洞に行ったら 誰もいなくて 名物のカレーが冷凍されてたやつを半解凍で出されて ああ時代は変わったんだな・・と思ったものです。そのほんやら洞も数年前に火事で焼けて閉店。東京国分寺に支店みたいな扱いのほんやら洞はありますがそちらは健在のはずです。東京は多摩ですが 吉祥寺のJazz喫茶も壊滅して行きたい店がもうありません。吉祥寺の行きつけだったFAMILYってJazz喫茶のママがJASRACがLP片面で当時200円の著作権料を払え・・と言い出したのがJazz喫茶壊滅の事情だそうです。仕事の関係で東京長いんですが 大病して死にかけたんで 京都に戻るべく部屋探してて 最初に行ったのが七本松中立売近辺ですが北野公設市場が北野メッサに変わってるだけだったけど 商店街が壊滅してたんで 今は出町の枡形商店街あたりでうろうろしてます。青春の京都なわけですが関西人には東京は厳しいようで 結局戻るようですw たまたま このサイトを見つけて 五番町あたりの詳しい話が読めたので嬉しかったです。あのあたりいい雰囲気だったのは もう大昔の話ですが 我々が当時を知る最後の世代だと思います。新しいものが好きな京都ですが 商店街の灯が消えていくのは寂しいものです。
Commented by gionchoubu at 2018-11-04 12:40
> やまねさん

しあんくれーるは立命館のイメージがつよく私はもっぱら55番街の住人でした。ただほんやら洞はそんなに行きませんでした。
大学卒業3年後ぐらい、ホテルのフロントでバイトしていた時、たまたまエルビンジョーンズが日本の奥さんとこられてサインをもらい大感激でした。
当時はコルトレーンやエリックドルフィーが大好きで、アルバートアイラ―、セシルテイラーまでは理解できたものの、オ―ネットコールマンは??でした。
現在はタルファーロ―や60年前後のマイルスディビス、オスカーぺティフォードが好みの年齢になりました。(当時もよく聞きましたが)
私も横丁雰囲気がすきで、結構大阪の地下街のうさんくささがよかったのですが、最近優等生みたいな店ばかりでつまんないです・・・
Commented by 素青 at 2019-04-23 23:24 x
千中ミュージック。昭和40年頃、内臓まで見せる!という惹句に惹かれ、奨学金を握りしめて入りました。翌日、千本中立売東南にある喫茶店ナポリで出ていたお姉さんと顔を合わせ、なんだか恥ずかしくなりました。ナポリは今もあります。
Commented by gionchoubu at 2019-04-25 14:52
ナポリ・・・ニューキョートのパチンコの所ですね、私もいきましたが、その並びのロンド(だったかな?)の方によくいきました。
あのあたりの喫茶はほとんどいきました。ただ中立売にあったムラカミという喫茶(夜はスナック?)だけはなんとなく入りにくいので行きませんでした。
ナポリまだあるんですね・・・