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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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島原遊郭ぞめき 太夫道中3


島原遊郭ぞめき 太夫道中3_f0347663_12202284.jpg
左より引舟、太夫、傘持

昭和四年刊『全国花街めぐり』で松川二郎は名物「太夫道中」とした一文があります。

「花も漸やく盛りをすぎた四月二十一日に毎年行われる。此日は午前中に大門が閉るから、見物人は朝早くから弁当持参の一日がゝりで出かける。両側の家の階上階下は勿論、中央に太夫の通る道幅だけを明けて、路上に莚や茣蓙を敷いて座りこんでいるところは、まるで御大典拝観の騒ぎそっくりである。それで道中の始るのは欠伸も品切れになった午後の三時過ぎ、先づ八名の芸妓に依って曳かるゝ花車がやって来て、次で禿二人を露払として、太夫は右手に裾を持ち、左り手は斯う懐中に入れて、例の三枚歯黒塗の高下駄を素足に穿いて、カラン、コロン、外八文字を踏んでやってくる。髪は立兵庫もあり、横兵庫もあり、勝山もあり、いろいろである。“曳舟”と名づくる介添が付添ってゐて始終着付などを直してゐる。後ろからさし傘を持った男がつゞく。道中は二丁足らず、出場の大夫は年々の編成の都合にもよるが大抵十五、六名から十七、八名である。最後に善美を尽した真打の太夫が八人の禿を連れて、数万の瞳をながし目に、裊々娜々として練ってゆく。これを“傘止”と云ひ、傘止めに出れば爾後間もなく、屹度落籍されるという伝説が、昔から此の里には信ぜられてゐる。」

実をいうと外八文字は花魁の足運び、太夫が歩むのは内八文字、曳船は本来引舟を充てるのですが、そんな事より、松川は実に見事に太夫道中を短い文で再現してくれています。

太夫道中に知識の乏しい現代人にも、その様子が手にとるように分かるのは、一つには松川が島原に精通している訳でもないので、我々に近い目線で、物珍しい行列を興味深く眺めたことが挙げられると思います。何度も太夫道中を見た人なら、返って書けない文章だと思います。当然希代のルポライターとしての観察力、文章力があって書けた名文だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

島原太夫道中は午後三時過ぎに花車から始ります。島原廓の周囲は丸太で厳重に柵が巡らされ、さらに警備員、警官、憲兵、消防士が警戒、取締りを行うので、大門からの入場しか出来ません。

特別入門の許可があれば別ですが、一般の入場は基本十時には定員で締め切られ、島原内に入れません。仮に朝の七時に入場できたとすると、道中が始るまで八時間も待つことになります。

お茶屋の馴染みの紹介客なら、昼過ぎに許可の印を見せて入場できますが、一般客には大変な忍耐が必要とされ、それでも大変な人気でした。県外は勿論海外からの見物も沢山いました。

太夫道中までの時間、人々は、弁当、鮓、みかん、パンの行商から買い求めたり、郭内で販売された番付などを見ながらじっと待つことになります。

角屋の塀外に救護班と7、8人の看護婦が待機しており、太夫がよく道中に、その衣装と髪飾りの重さに耐え切れず卒倒するのに備えてのことでしたが、見物人の介護にもあたりました。

この太夫道中、実は昭和七年まで、一般観覧料は無料でした。この年初めて赤券五十銭、黄券一円を数日前から売り出し、丸物百貨店では商品の景品に供したといいます。この年有料化になりましたが、例年のように10時にはすべて売り切れました。

この年まで太夫道中は赤字続きで、運営費、設備費、警備、救護班、諸々は総て組合や貸座敷の持ち出しでした。

昭和七年の道中が始ったのは午後三時で、一番柝、二番柝、三番柝響くと、歌舞練場から花笠を冠った十数名の少女と派手な元禄模様の粧ひを凝らした若い芸者衆が花車を曳き、間も無く桔梗屋の羽衣太夫が現れると「羽衣さん好いで」の掛け声がかかり、続いて青木楼の菅太夫、同、尾上太夫、輪違屋の胡蝶太夫、菊春楼の雲井太夫、山中楼の大井太夫、菊春楼の高砂太夫、山中楼の小紫太夫、青木楼の君太夫、小島楼の光春太夫、傘止めは青木楼の浦島太夫で、総て終わったのは午後四時半でした。

参照:『技芸倶楽部』、大正十五年五月号と昭和七年の五月号





by gionchoubu | 2016-07-25 12:29 | 島原遊郭 | Comments(0)