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島原遊郭ぞめき 温習会

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     第一回の温習会

島原の話題といえば、今も昔も太夫さんに関してばかり・・・当然といえばそうなのですが、特に大正から戦前まで、島原の芸妓もその芸を他の花街と競っておりました。

大正十三年三月六日と七日、京都市公会堂で開催された技芸倶楽部創刊一周年記念演芸大会で、島原は京都七遊廓の一廓として出演しています。

当時の七遊廓は祗園甲部(井上流)、祗園乙部(藤間流)、北新地(若柳流)、先斗町(若柳流)、宮川町(楳茂都流)、島原(西川流)でした。

この時島原は、「喜久重ね山路の壽」で立ち方、高橋とみ子、青木松子、熊木喜代次、「常盤の松島」で立ち方、青木吉子、鶴澤若君、衣装から帯から全部新調で望み、島原美人の芸術味を実演しました。

大正十五年、島原廓歌舞練場の竣工の際、島原開闢以来最初の温習会が行われました。十一月十一日から三日間で、当時在籍の芸妓七十名程が全員参加、連日観客満員の大盛況で、日延べの要望が挙った程の評判をとりました。

この成功の分析として、島原の芸妓は平素概して大座敷に侍って入るゆえ、立ち方も、地方も囃子方も落ち着き払って舞台負けをしなかった、又普段から威厳漂う太夫に接近しているので、自然態度が落ち着く、などと言う説が挙っていました。

当時の島原は西川流で、同廓の芸妓の歌舞音曲研究機関の養柳会が歌舞練場竣工並びに温習会の開催の中心になりました。

この時の養柳会の会長は中川玉子、福会長が松本浅子、幹事大澤時子、高橋との子、青木はる子、赤尾菊子等が中心となり技芸の向上に尽くしました。

番組は舞踊「式三番叟」、舞踊「若菜摘」、浄瑠璃「千両幟猪名川内」、浄瑠璃「菅原傳授車曳」、素囃子「常盤の庭」、舞踊「月の巻」、長唄「紀文大盡」、舞踊「妹背山道行」、大切りが舞踊「三社祭」

この頃の太夫の置屋は第一清月楼、第二清月楼、田村楼、掘田楼、西勢楼、青木楼、輪違屋などで、例えば青木楼や輪違屋は太夫も芸妓も抱えていました。

太夫道中の際、芸妓の役割は揃いの日傘を各自手にして、若い芸妓が先頭の少女を先頭に花車の綱を引いて練り歩くことで、これらの芸妓の苗字から察すると、芸妓置屋として、熊木、豊田など、太夫を抱えず、芸妓専門の置屋があったと思われます。
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                    大正~昭和の島原の芸妓

by gionchoubu | 2016-07-06 12:00 | 島原遊郭 | Comments(4)
Commented by hiuematsu at 2016-07-11 13:36
先斗町(若柳流)いまは尾上流、
宮川町(楳茂都流)いまは若柳流。

先斗町の来葉さんは若柳流、
宮川町の富美蝶さんは楳茂都流、
しかしそれ以降の世代は変わりましたね。

映画・偽れる盛装の稽古場面に楳茂都陸平家元が出演されています。
Commented by gionchoubu at 2016-07-11 17:24
> hiuematsuさん

昭和四十二年の『京都年間』の邦楽の欄を見ると、「地元としては井上八千代、楳茂都陸平、花柳双、西川鯉平の四本柱が、いぜんとして実力の程をみせ・・・」

又若柳流に関して昭和四十一年の「5月、若柳吉千歳のちとせ会は扇の会を中心」として活動していたようです。

その他にも、藤間、坂東、吉村、尾上、篠塚の各流派が凌ぎを削った激動の時代だったようです。
Commented by tourisugari at 2018-04-24 13:10 x
西川流が島原に入っていた時期があったのですね。
これは名古屋西川、西川石松の時代ですね。
鯉平という方は存じませんが、あきらかに初代鯉三郎の筋でしょう。
勉強になりました。
有り難うございます。
Commented by gionchoubu at 2018-05-04 18:06
> tourisugariさん

井上流も明治の初めに少し入ったことがありますが、島原側では見習いとして入ったという見解でした。
以前彦根の袋町花街も西川流の影響があったと料亭の女将さんがおっしゃっていました。
先日若葉流の宴会のお手伝いさせて頂きましたが楽しかったです。

お返事遅れて申しわけありません。