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島原遊郭ぞめき 花街、島原

島原遊郭ぞめき 花街、島原_f0347663_11100175.jpg

島原芸妓、右、熊木喜代次 左、高橋登美子 

             大正十四年、技芸倶楽部創刊三年記念演芸大会


明治五年の『都をどり』を成功させた事で、篠塚、井上両派が凌ぎを削った時代が終わりを告げ、祗園が井上流一本となった事からも、現在のように一花街には一つの舞の流派という取り決めがあった訳ではありません。

緑江叢書、『京の舞踊』によれば、京舞という分野が歴史に登場するのは、1800年頃らしく、井上八千代が井上流、篠塚文三郎が篠塚流の祖となりました。

その初世の井上八千代が文政九年ごろ島原の師匠になり、毎日島原に稽古をつけにいきました。又篠塚文三郎を父に持つ二代目の文三(天保十一年二代目襲名)の妻は島原の松本楼の娘でありましたので、江戸後期の島原は主が篠塚流、従が井上流だったと思います。

明治の六年~八年頃、祗園の都をどり、先斗町に鴨川をどりが有った様に、島原にも青柳踊が催され、年代は分からないものの番付が残ります。六月十四日から十九日まで六日間、午後六時二部に分け踊子十一人、地方十三人、義太夫二人、囃子四人「松の誉」横井雅控頌作詞、作曲はカイ亀、鳴物は鳴富と云う師匠、そして振り付けは片山春子・・・この頃の島原が井上流を主体としていた事が分かります。

それにしても、井上、篠塚以前の島原は誰が指導に当たっていたでしょうか?
『技芸倶楽部』の大正十二年、二月号の「京都の舞踊界」に風月庵記として、

「江戸に水月、藤間の初流が生まれた当時、京都には舞芝居の名の下に、大頭(だいがしら)の余流を汲むものゝ幽かに命脈を保ったが、男の手に属したは寛文中より御免の名代で仕形舞又太夫といふもの正徳、享保の頃四条河原で興行し、女の手に属したのは寛文七年に女舞御赦免となり、大頭柏木というもの代々の名代であった、是等の余流が弟子を取り盛んに稽古したのは元禄時代で、京都の舞踊は元々曲舞から出たものである。」

これを鑑みるに、井上、篠塚が台頭する前は、島原も幸若舞の変化した大頭女舞の余波が支配していたと思われます。

さらに風月庵記に、当時即ち大正十二年時点、「島原廓は是亦以前は篠塚流の独占地であったが、数年前一時井上流の侵入を見たれど継続せず、現近では西川流の独占舞台」とあります。

『京都遊廓見聞録』の「島原角屋登楼記」昭和六年の中に、「この春から西川が出て花柳に変った」と書かれています。

これらを総合すると島原の舞の流派は大頭女舞→篠塚流が主で井上流が従→西川流→花柳流、という道を辿ったことになります。


by gionchoubu | 2016-07-03 11:10 | 島原遊郭 | Comments(0)