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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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島原遊郭ぞめき 松本楼燃ゆ


島原遊郭ぞめき 松本楼燃ゆ_f0347663_16034922.jpg
                   君人太夫のお点前                

『京の花街「輪違屋」物語』に、輪違屋の仲居さんの記憶として、角屋、輪違屋さんと並ぶ島原超一流のお茶屋、松本楼が焼失して二人の太夫が無くなったのが昭和二十年の十二月二十八日くらい、と書かれていますが、これはこの仲居さんの記憶違いで、実際は昭和十年二月八日の午前三時四十分で、翌日の京都日出新聞で大きな記事となっています。

「凄惨!紅蓮の炎 太夫二人を呑む 楼主も重傷負ふ」という見出しで、焼けたのは楼主松本由之助、松本楼と隣家長男の営む菓子商で、亡くなったのは松本楼抱の君人(きみんど)太夫(三十五才)と、胡蝶太夫(二十四才)でした。

こちらは新聞記事が誤り、松本楼は揚屋で太夫は抱えておらず、「輪違屋」物語にあるように、青木楼の君人太夫と輪違屋の胡蝶太夫でした。記事中に抱え主として青木たか、高橋徳三郎(輪違屋当主)の名も記されている所から、記者はあまり島原のシステムに馴染みが無かったものと想像されます。

この記事によると、この大楼は建坪百四十二坪、二階に四畳半の部屋が十、座敷が三で、当夜亡くなった二人の太夫以外に雲井太夫と客も泊まっていたが、雲井太夫と客は屋根を伝って厄を免れました。

火事の原因は未だに分かっていません。

新聞には謝近火御見舞を島原貸座敷組合事務所、角屋中川徳右衛門、金清楼、料理屋のみどり屋、そして謹しんで出火御見舞申上候として松本楼、松本由之助、長松堂、松本清三郎が載せています。

松本楼の場所は旅館松栄さんときんせ旅館の道路をはさんだ誠の湯の駐車場の大部分で確かに角屋に告ぐ規模を誇っていました。

さて、亡くなった君人太夫は太夫道中の傘止を三度も経験しており、太夫を勤める傍ら、母と姉と子供の三人を養っていました。

傘止の太夫は太夫道中の殿(しんがり)を務めた名誉ある役で、禿も六~八人就きました。傘止めは普通一回のみですが、君人太夫は三回も務めた事になります。

それ以外にも記録によると大正十四年には髪を横兵庫、うちかけが白地に雲に鳳凰の縫模様で太夫道中に出ていますし、大正十五年にも元禄くづし姿で島原廓内をねり歩きました。

島原遊郭ぞめき 松本楼燃ゆ_f0347663_12331340.jpg

by gionchoubu | 2016-06-22 16:06 | 島原遊郭 | Comments(4)
Commented by テレビ大阪の松本と申します at 2016-06-23 18:46 x
突然のご連絡失礼致します。
私、テレビ東京系列で「和風総本家」という番組を担当しております、
松本健太郎と申します。

今回、番組で『ニッポンの百年手みやげ』という企画を
おこなうにあたり浅草の手みやげをご紹介しようと考えております。

そのご紹介する手みやげのものが当時の花柳界でも人気なものだったということで、当時の花柳界のお写真、画像
を探しております。

浅草で明治末期ごろの花柳界のお写真や町中を歩いているお写真などありましたらいただけないかと思っております。

一度ご連絡いただければと思います。
お忙しいとは思いますが何卒よろしくお願い致します。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
  テレビ大阪「和風総本家」AD 松本 健太郎
  〒104-0045
  東京都中央区築地1-13-14 NBF東銀座スクエア6F
  TEL : 03-3543-7705/FAX : 03-5550-7227
  Email : wafusohonke@yahoo.co.jp
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

Commented by 今紫 at 2016-06-24 19:59 x
松本楼は『京都遊廓見聞録』、渡会恵介氏の『京の花街』、そしてその悲しい話は『島原「輪違屋」物語』で知りました。あの出来事がなければあの姿は今に残っていたのでしょうか? 遊廓・赤線関係の本を読んだことがあり、松本楼の写真を見て格式のあるお茶屋さんであることがわかります。跡地には「島原トルコ温泉」がありました(私はその事は知りません)。

火事で亡くなられた君人太夫、胡蝶太夫の菩提を弔い締め括ります。合掌
Commented by gionchoubu at 2016-06-25 11:42
> テレビ大阪の松本さん

お尋ね頂いています件、生憎私の方に写真等の資料はございませんが、一応探す手立てなどのヒントはさしあげれるかも知れませんので、後ほどお電話させて頂きます。
Commented by gionchoubu at 2016-06-25 12:10
> 今紫さん

私も「島原トルコ温泉」は写真でしか知りません。映画“廓育ち”は売防法施行以前の設定で、まだトルコは出来ていませんけど、太夫道中の場面でネオンがちょこっと顔を出します。

当時島原大夫さんは20代の終わりまででお辞めになられたと思いますが、君人大夫は御家族のため35歳まで勤め上げられました。又若くして去った胡蝶太夫も大変残念な事になりました。ご生前のご苦労を偲び、哀悼の意を表します。