
花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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島原遊郭ぞめき 金清楼

昭和五年第一版発行、昭和八年発行版の『京都職業別電話名簿編集局 松園』の貸座敷の欄を見ると、
仲之町 きぬた 上之町 植村楼
輪違屋 清栄楼
富田楼 鶴種
白水事(楼)
松梅
中堂寺町 金清楼 太夫町 喜楽
松葉楼 島原松本楼
第三花月楼 西勢楼
鶴愛 南金清楼
福本楼
萬八楼
下之町 河福 揚屋町 松鶴楼
菊春楼 角屋
第二清月
菊春楼
梅花楼
これ以外に、屋号でなく個人名で登録されている貸座敷があります。名前と屋号の両方で登録されている所もあります。二重登録を省くと、上記以外に二十七軒の個人名が確認できます。この中には当時島原遊廓の取締り松本楼の松本由之助(よしのすけ)の元で副取締を勤めていた塔下角太郎の名や、下之町の青木楼、太夫町の瀧野も含まれています。
金清楼について・・・
昭和二年に作られた『京都明細図』で確認すると、現在のきんせ旅館の場所(太夫町)に富田ろう(楼)と記されています。
ところが、上記の『松園』によれば、富田楼は仲之町に登録されています。金清楼と南金清楼とも経営者は同じで、金清楼は中堂寺町、南金清楼がきんせ旅館のある太夫町の登録です。
これを無理やり辻褄あわせすると、昭和二年には富田楼が現きんせ旅館の場所にありましたが、昭和八年までに富田楼は仲之町に移り、同年までに第二金清楼がきんせ旅館の場所に移って来て、やがて中堂寺の金清楼は無くなり、第二金清楼が今度は金清楼の名を継ぎ、いまのきんせ旅館の前身なった、とこじつけることしか私には出来ません。
(月刊京都,2014,12月号に、現オーナーさんが「こちらは、大正末期~昭和初期に店主の祖父母が買い取り、洋風に改装」とあり上記の一部が裏づけられました。2018、6月27日付記)
by gionchoubu
| 2016-06-20 11:48
| 島原遊郭
|
Comments(10)
ぞめき様、こんばんは。
きんせ旅館は幾度も訪れておりますが本当に格調い室内で当時の雰囲気が醸し出しております。今のマスターは賢明な判断を下しました。築200年以上と云われる建物を残し活かすのは並大抵の力が必要ですが角屋、輪違屋、大門と共に失われつつある嶋原の遺産です。
きんせ旅館は幾度も訪れておりますが本当に格調い室内で当時の雰囲気が醸し出しております。今のマスターは賢明な判断を下しました。築200年以上と云われる建物を残し活かすのは並大抵の力が必要ですが角屋、輪違屋、大門と共に失われつつある嶋原の遺産です。
0
> 今紫さん
私も何度かお邪魔させて頂いています。喫茶部はかつてのダンスホールとの事、大阪でダンスホール全面禁止だったので、大阪の客も見込んで、生駒、橋本、そしてJRが当時廓内にあった島原に造られたと思います。
なんか、あの空間すごく落ち着くのですよね・・・
私も何度かお邪魔させて頂いています。喫茶部はかつてのダンスホールとの事、大阪でダンスホール全面禁止だったので、大阪の客も見込んで、生駒、橋本、そしてJRが当時廓内にあった島原に造られたと思います。
なんか、あの空間すごく落ち着くのですよね・・・
ありがとうございます。
話飛びますが「誠の湯」(せめて「太夫(こったい)の湯」にして欲しかった)の向かい側に「松葉」というお茶屋さんの建物は最近、改修しギャラリーになったばかりでお茶屋の面影を少し残しています(独特の格子が無くなり残念です)。あと「Hygge」というカフェは店主の話によると、「角屋」さんから分家したお茶屋さんだったと聞きました。あそこは改装前の姿を少し覚えていて2階がトタンが打ち付けられ下が出格子でした。しかし2階が在りし姿を取り戻しても出格子が撤去されたのが残念です。店主の好みかどうか不明りませんが格子をつけた方が花街の雰囲気が伝わるのではないでしょうか。「青木楼」の向かいの元鳥料理屋はシェアハウスに生まれ変わりました。
話飛びますが「誠の湯」(せめて「太夫(こったい)の湯」にして欲しかった)の向かい側に「松葉」というお茶屋さんの建物は最近、改修しギャラリーになったばかりでお茶屋の面影を少し残しています(独特の格子が無くなり残念です)。あと「Hygge」というカフェは店主の話によると、「角屋」さんから分家したお茶屋さんだったと聞きました。あそこは改装前の姿を少し覚えていて2階がトタンが打ち付けられ下が出格子でした。しかし2階が在りし姿を取り戻しても出格子が撤去されたのが残念です。店主の好みかどうか不明りませんが格子をつけた方が花街の雰囲気が伝わるのではないでしょうか。「青木楼」の向かいの元鳥料理屋はシェアハウスに生まれ変わりました。
島原には お茶屋と一見茶屋(娼妓屋)が混在したと思います。
おのずと、建物の構造も違うと推察しています。
おのずと、建物の構造も違うと推察しています。
> 今紫さん
「誠の湯」の食事どころ「花車」は太夫道中で芸妓連が曳いた花で飾られた車ですので、ここで名残を留めておられるようです。
Huggeさんには確か青いタイルが二階の階段上がり口にあったと記憶しています。「角屋」さんから分家したお茶屋さんだったとは知りませんでした。
松葉さんは比較的最近までお茶屋をしていたようです。
あと、もう一軒、旧貸座敷がシェアハウスに生まれ変わりそうです。そのあたり、近々まとめて書きます。
前回のコメントの返信で、廓育ちの映画の設定時点でトルコはまだ無かったと書きましたが、昭和30年にできたそうです。矢張り思い込みはいけませんね。
「誠の湯」の食事どころ「花車」は太夫道中で芸妓連が曳いた花で飾られた車ですので、ここで名残を留めておられるようです。
Huggeさんには確か青いタイルが二階の階段上がり口にあったと記憶しています。「角屋」さんから分家したお茶屋さんだったとは知りませんでした。
松葉さんは比較的最近までお茶屋をしていたようです。
あと、もう一軒、旧貸座敷がシェアハウスに生まれ変わりそうです。そのあたり、近々まとめて書きます。
前回のコメントの返信で、廓育ちの映画の設定時点でトルコはまだ無かったと書きましたが、昭和30年にできたそうです。矢張り思い込みはいけませんね。
> kayohosoda99さん
おっしゃる通り、宮川町も祇園甲、乙、上七軒、先斗町とも娼妓のいる時代はすべて送り込みでした。面白いのは北新地(五番町)で東部の甲部が送り込み、乙部の西部が居稼だったと思われる事です。
おっしゃる通り、宮川町も祇園甲、乙、上七軒、先斗町とも娼妓のいる時代はすべて送り込みでした。面白いのは北新地(五番町)で東部の甲部が送り込み、乙部の西部が居稼だったと思われる事です。








