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by gionchoubu

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島原遊郭ぞめき 燈籠

島原遊郭ぞめき 燈籠_f0347663_11101987.jpg
島原住吉神社の鳥居には明治36年9月と刻まれています。(玉垣は大正13年9月

宝暦七年の『一目千軒』の灯籠の事並作り物に「灯籠むかしありしと也。中比絶侍りしに宝暦四戌のとしより再興せし也。紙ざいく絹ざいくいろいろ有り。八月一日より初り日数は年々によりて極りなし。又作り物も同年に始。」

この燈籠を本居宣長は『在京日記』触れています。宝暦六年の項に「さて灯籠は、端の茶屋より始めて、北向きなと云う渡りまで、町々残るかたなく風流をつくして、華やかなること也や、まして揚屋町は、言うもさら也、中にも目出度く作りなせるのは、上の町の桔梗屋といえる轡かもとの、竜宮城の有様を造れる、言わんかたなく美麗なる物なりし、この家は、去年も宝船を作りて、一番と言われしか、ことしも又、外にならうかたなく見ゆ、全てこの灯籠、何れも紙細工にて、羅絹の類をあしらひ、あるはビードロ等にてかさりなせる、みな中へ火をともしたれば、其光映せる様、いと麗しき物也、夜毎に、亥の時の比まで見せ侍りて、踊り始まれば、仕舞侍る。」

明治の半ば過ぎ、島原は不景気の打開策として復活を話し合われたものにこの燈籠がありました。然るに当時の島原は東部と西部の二派が対立の構図があり、この燈籠の復活も東部が持ち出した処、多数派の西部の反対により実現しなかったようです。その他、樹木を植え土塀を作るという安も中止になりました。

雑誌『花柳』よりこの頃の二人の島原太夫を紹介させて頂きます。

仙太夫(島原廓娼妓) 翁亭の精肉

仙太夫は~略~昨年七月以来大坂新町に太夫(まんた)を稼ぎ居りしも、実家の都合に依り極月に至り島原玉兎(ぎょくと)楼より仙太夫と唱へ娼妓に出ず。女(じょ)は今年二九の春を迎へたる美人にて、蛸薬師の精肉屋翁亭の如く未だ店出より間はなけれども、総てが美麗なると、且風味の妙なるが故、引手夥多の客繁喜きはお目出度とぞ申すべし太夫を牛肉店に批評す。油身の能味を増が故か。

金太夫(島原廓娼妓) 常盤座(新京極)

金太夫は~略~明治八年十月生れなるが、一昨年の九月初て嶋原廓齋藤楼より娼妓となり、先の金太夫の名蹟を次ぎたるものなり。両親はあれども離散して無が如し。性温柔にして愛嬌あり。殊に色至て白く貫目充分あり。幼少より三味線を好し故、今は一角の腕前あり。女(じょ)は娼妓となるの前、伏見街道七条辺の薬剤師の寵妾となり居し事もありて、目下太夫のうちにて最も評判よし。女を常盤座に比す。松の色の緑になるが故、故(ことさら)に常盤の名を用しものなり。されば前金太夫の如く楼(やかた)大切、客大事に・・・」

参照:明治26~27年『花柳』


by gionchoubu | 2016-06-12 11:13 | 島原遊郭 | Comments(0)