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by gionchoubu
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島原遊郭ぞめき 西門

今一度、明治五年写『京都府下遊廓由書』の島原を見ると「宝暦十一年辛巳十一月傾城町江洛中其外茶屋惣年寄申付相成候由 旧記無之古伝」、どこにも遊廓の総年寄とは書いてありません。
これは原典を確認する事をせず、著名な書という事で鵜呑みにした私のミスです。
祇園や宮川町も遊女が公許では無いにせよ、茶屋名目で渡世しておりました。島原はその茶屋の総年寄を命ぜられたという事で辻褄が確認できました。
さて、その後の島原は二鐘亭藩山の『見た京物語』に「島原はまわり土塀にて、甚だ淋し。中ノ町と思わしきところ一膳めしの看板あり。一方口にあらず裏へ行きぬけなり。ここに住吉ノ神を祭りあり。出口の柳は大門に向かって右の方にあり。遊女態のいる店にかけるスダレ、布まぜの如く墨にて横筋をぬりてあり、模様に矢の羽などぬりたりあり。」華やかな色里の面影はありません。
ここで書かれているように東の大門一方口だった島原に西門ができましたのは享保十七年(1732)、経営不振打開策として夜見世(夜間)の営業とともに許可を得て打ち出しました。
しかしながら、立地条件の悪さだけはどうする事も出来ませんでした。
享和二年(1802)、滝沢馬琴は『羇旅漫録』で「島原の廓、今は大いにおとろへて、曲輪(くるわ)の土塀なども壊れ倒れ、揚屋町の外は、家も巷も甚だきたなし。大夫の顔色、万事、祇園には劣れり。しかれども人気の温和、古雅なるところは、なかなか祇園の及ぶところにあらず。京都の人は島原へゆかず。道遠くして、往来わづはらはしきゆゑなり。ゆゑに多くは、旅人をも祇園へ誘引す。」
当時の島原の人は大変でしたでしょうが、祇園を含め江戸期の古い建物が火事や時代の流れで失われて行ったのに対し、島原では開設当時から徐々に敷地を増やしてきた角屋や安政四年(1857)に再建された輪違屋、慶応三年(1863)年に再建された大門など江戸期の建物、門が三つも残されているのは、後世の私達にとって大変有り難いもの・・・私はこの島原の立地、そしてこれを後世に伝える人々に感謝しております。
現在石碑のある西門跡は、天保十三(1842)年にこの場所に移されました。ところが昭和五十二年、輪過で全壊、三年後門柱が復元されるも、平成十年再度の輪過で倒壊しました。
参照:吉原と島原、小野武雄著
by gionchoubu
| 2016-05-19 13:04
| 島原遊郭
|
Comments(2)
お久し振りです。
嶋原は幾度も歩いておりますがお茶屋の建物が年々減り、無個性な住宅地=ファスト風土と化していることに心痛めます。曲亭馬琴が今の姿を見るとどんな言葉を洩らすでしょう。やはり長崎出島のように景観を復原整備していくしか他にありません。住人との話し合いと土地提供が必要ですが・・・・
その時に山陰本線の路線移設、市場・道路整備(電線地中化等)もしていただくことです。そして西門の完全復元(もちろん、自動車通行禁止)も可能になるでしょう。
話しが反れてしまい申し訳ありません。嶋原の貴重な建物、文化を後世に伝えていくことが私たちに託された課題だと存じます。
嶋原は幾度も歩いておりますがお茶屋の建物が年々減り、無個性な住宅地=ファスト風土と化していることに心痛めます。曲亭馬琴が今の姿を見るとどんな言葉を洩らすでしょう。やはり長崎出島のように景観を復原整備していくしか他にありません。住人との話し合いと土地提供が必要ですが・・・・
その時に山陰本線の路線移設、市場・道路整備(電線地中化等)もしていただくことです。そして西門の完全復元(もちろん、自動車通行禁止)も可能になるでしょう。
話しが反れてしまい申し訳ありません。嶋原の貴重な建物、文化を後世に伝えていくことが私たちに託された課題だと存じます。
0
> 今紫さん
お久しぶりです。私もよく嶋原をよく歩きます。先日旧JR丹波口駅跡の公園で、町の古老に、昔この公園の南に小川があり、廓内の女性が廓内からの逃亡を防ぐ役割をしていた、とおっしゃっていました。これは川ではなく嶋原をかこんだ壁に沿っていた掘の事だと思います。
東映の「廓育ち」で最後の場面で、遠目ですけど、この西門が確認できます。又映画の中で設定のお茶屋が西門のすぐ西ですので、西門の一部が東側からなんどか確認できます。
又、思案橋も姿を変えて戦後まで残っていたという話も別の方におききしています。私思案橋のネーミングが好きで、長崎の思案橋は見ていませんが、旧郭の思案橋をいくつか巡った事があります。
西門復活費用私が全額負担しましょう・・・もしお金があれば・・・のお話ですが・・・
お久しぶりです。私もよく嶋原をよく歩きます。先日旧JR丹波口駅跡の公園で、町の古老に、昔この公園の南に小川があり、廓内の女性が廓内からの逃亡を防ぐ役割をしていた、とおっしゃっていました。これは川ではなく嶋原をかこんだ壁に沿っていた掘の事だと思います。
東映の「廓育ち」で最後の場面で、遠目ですけど、この西門が確認できます。又映画の中で設定のお茶屋が西門のすぐ西ですので、西門の一部が東側からなんどか確認できます。
又、思案橋も姿を変えて戦後まで残っていたという話も別の方におききしています。私思案橋のネーミングが好きで、長崎の思案橋は見ていませんが、旧郭の思案橋をいくつか巡った事があります。
西門復活費用私が全額負担しましょう・・・もしお金があれば・・・のお話ですが・・・
