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by gionchoubu

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島原遊郭ぞめき 芸子現る

島原遊郭ぞめき 芸子現る_f0347663_11165545.jpg
上七軒の芸妓さん, 梅花祭にて

芸者、芸子なるものが世に現れたのは大阪新町が一番早く、享保年間(1728~1735)とされ、続いて京都の島原に宝暦元(1751)年頃誕生したことになります。江戸の吉原が少し遅れて宝暦十二(1762)年頃となります。

お江戸を描いた時代劇で元禄時代の設定で芸者が出てきたら時代考証がおかしいことになります。

ちなみに、吉原で芸者が現れてから数年後、大黒屋秀民が日本初めて、芸者を管理する見板(見番、検番)を立ち上げます。京都は見世、大阪は扱席というシステムをとり、これは娼妓も芸妓も含む見番機能を備えた置屋のようなもので、今の芸能プロダクションと考えていただけるとわかり易いでしょう。

慶応三年の『四方のはな』の嶋村屋を見てみると、芸子41人で幕末物に欠かせない君尾の名前もあります。舞妓は10人、二調(鼓)の舞妓が5人、義太夫芸妓4人、遊女部門に中詰12人、若詰2人、合計74人の大所帯で、こういったグループがいくつもあり、中にはお茶屋機能をもった見世もあり、こうなると見世はひとつの花街のようです。

幇間は大津屋とか鳥羽屋とか幇間の見世に属し、芸者の見世の一部門ではありませんでした。

明治になるとすぐ祇園も見番制を取り、見世は廃止されました。大阪ではその後も長く扱席が残り、戦前でも宗衛門町などに扱席はありました。

大阪を含む関西圏で時々この~席というのを最近でも見ます。これはこの風を受け、芸妓置屋も~席と名乗っていたものだと思います。

『一目千軒』ではこの牽頭女郎と芸子が共存していることになります。牽頭女郎は芸娼兼用で、芸子は芸専門が建て前といった所でしょう。

さて、『一目千軒』に登録されていた芸子は

上の町
桔梗屋治助、一人

あげや町
大坂屋太郎右衛門、一人

中の町
一文字屋伊左衛門、四人

下の町
桔梗屋籐右衛門、六人

太夫町
三もんじ屋又左衛門、三人

以上が大夫、天神をかかえた置屋で、それ以外はし女郎格をかかえた置屋が六軒あり、芸子もかかえました。その内、中の町西側に、わちがひやきよ、があり、げいこ、まさご、げいこ、こふじ、を抱えていました。


by gionchoubu | 2016-05-12 11:17 | 島原遊郭 | Comments(0)