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島原遊郭ぞめき けいせい色三味線

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                        大夫道中

「世に聞馴たる鶯の花に啼くも、さのみ身をうつ程にも面白からず。只いつ聞ても魂にこたへて感じまいらすは、島原の投節(なげぶし)、吉原の次節(つぎぶし)、新町の籬節(まがきぶし)」で始まる江島其碩著、『けいせい色三味線』、元禄十四年に「島原女郎惣名寄」が収録されています。

中の町
一文字屋七郎兵衛  太夫5人(引舟5人)、天神16人、かこい16人
一文字屋次郎右衛門 天神3人、かこい6人

上の町
きゝやう屋八右衛門 太夫1人(引船1人)、天神8人、かこい5人

中どうじ
大坂屋伝左衛門 天神5人、かこい4人

あげ屋町角 
大坂屋太郎兵衛門 太夫4人(引舟3人)、天神11人、かこい12人

下の町
きゝやう屋喜兵衛門 太夫3人(引舟)、天神12人、かこい10人、
かしわや又十郎 天神2人、かこい1人

以上が太夫、天神を抱えた置屋7軒で太夫13、天神57人、鹿恋54人です。
太夫町(西洞院)以外の五町にこれらの置屋がありました。引舟は太夫の身の回りのお世話をする女で、かこい格の女郎です。太夫の人数より一人少ないのは、盆前身請廓ヲ出と書いてあり、この名寄の正確性を伺わせるものだと思います。

一方端女郎は30軒で、こちらは揚屋町以外の五町の置屋に184名おりました。この端女郎の置屋として、わちがいや八郎右衛門が載ります。今の輪違屋さんのある中之町にありました。

この輪違屋の当主、高橋利樹氏著『京の花街「輪違屋」物語』に、初代創業が元禄年間(1688~1704)、ただし明治五年までは太夫の置屋で「養花楼」と名乗っていたとの事で、ふたつの輪違屋の関連性ははっきりしません。

洛中洛外図屏風(大阪城天守閣本)に六条三筋時代の傾城町が載りますが、ここにも輪違紋の暖簾を掲げた傾城屋が描かれており、見世の前で、女が遊客を誘っています。矢張り関連性は全くわかりません。

さて、置屋に対して揚屋は揚屋町に二十四軒、六条三筋時代から現在まで歴史を保つ名家、すみや徳右衛門も当然名を連ねています。その他端女郎が入る出口の茶屋と北の茶屋が合わせて二十軒ありました。

ちなみに当時の揚代は太夫七十六匁、天神三十匁、鹿恋十八匁でした。

これを同じ時代の吉原の遊女数と較べてみましょう。同じく『けいせい色三味線』の江戸之巻、吉原女郎惣名寄をみると、総数1750人。島原にはこの他、中堂寺北横町に北向きという最下級の女郎がおり、北向きの人数は把握できないものの、総数308人・・・吉原の規模は島原を遥かに凌ぎます。

当時の吉原にも太夫がまだおりましたが、たったの5人、太夫こうしが99人、さん茶が493人、うめ茶が280人、五寸局が426人、三寸局が44人、なみ局400余り、揚代は太夫七十四匁に対し三寸局は三匁、なみ局にいたってはたった銭百文、庶民も気軽に遊べた様子が汲み取れます。

この後、吉原から太夫は消滅し花魁の世界になります。公家文化の象徴であり、逢状をだしたり、儀式をしたり、逢うだけでもなにかと段取りの多く、その他各方面に心づけを払ったり、手続きを踏むことに意味がある優雅な太夫文化は武家や江戸っ子には受け入れられなかった様です。




by gionchoubu | 2016-05-02 13:54 | 島原遊郭 | Comments(0)