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島原遊郭ぞめき 七不思議

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                        きんせ旅館

「六條ならびに中道(堂)寺傾城町、いつかたへ成とも見計、町はつれへ出し可申候。面むきの家、結構に仕まし由可申付事」『日本花街史』でも『京都の地名』でも板倉所司代が幕府の意向として寛永七年(移転の十年前)にすでに傾城町移転の方針を江戸から示されていた事を指摘しています。

ですから板倉所司代は、この間十年代替地等の準備も終えた上で、移転を命じたものだと考えるのが自然です。

六條三筋の傾城町は堀や塀で囲まれている訳でなく、町の一部として区画を決めていたので、風俗取締りには不向きでありました。ただし突然「すぐ移転しろ」といったのは本当のようで、その移転騒ぎがまるで島原の騒乱様と後世伝えられたのも頷けます。

矢張り『京都市の地名』に、寛永以後万治以前京都全図で、朱雀野の中に「傾城町」書いた町割り図が張り紙で表され、移転があわただしく行われたことが知れる、としています。

移転の理由は、幕府の意向というより、風紀を乱した六条三筋の傾城町にあるとして有無を言わせないよう板倉所司代が一芝居打った様な気がしてなりません。一筋縄でいかない六条三筋の猛者共に有無を言わさず移転命令・・・板倉所司代、大した役者です。

江戸の吉原が葦の茂る不毛地にあった葭(葦)の原がその名の由来とされていますが、嶋原も、朱雀野海原に忽然と姿を現した、世と隔絶したまさに新島だったのです。

「廓の入り口を出口といい、どうもないのに道筋といい、下へゆくのに上之町、上へゆくのに下之町、橋もないのに端女郎、社もないのに天神さん、語りもせぬのに太夫さん」俗謡に歌われる島原七不思議が簡潔に島原遊郭の姿を言い得て妙です。

できた頃の島原は、堀と塀で四方を固めた城郭の様で、これが廓の謂れになります。出入り口は一つ(現在の場所でなく、北の端にありました。)ですから入り口と出口が同じになります。道筋は島原のメインストリート、当初は胴筋を当てました。

上と下が逆なのは、遊郭が鬼門に口をひらいているのを憂えて、丑寅を未申に転じ、上の町を下の町と名付けました。尚享保十年の二月に西口をひらきました。(『一目千軒』の方角之事)

端女郎、天神、太夫は遊女の階級で、当初は上から太夫、五三、三八、天神(北野天満宮の縁日が二五)鹿恋(かこい、鹿はしゝの呼び名があり四、四=十六匁)端女郎の順で、最上級の太夫と最下級の端女郎以外は、呼び名が出来た頃の揚げ代説がありますが、定かでありません。



by gionchoubu | 2016-04-29 10:37 | 島原遊郭 | Comments(0)