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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都私娼考 その十 パンパンガール

京都私娼考 その十 パンパンガール_f0347663_11420726.jpg
    団栗橋

山本俊一著『日本公娼史』に「内務省調査によると、明治四十年頃までは下京区山和大路通上(ママ)条上る付近は貧家の婦女が生活費を得るために街娼となり、一時は密売淫婦の巣窟の感があったが、大正十年現在ではそれが整理されて市内には集団的な売淫場所はなくなっていた。私娼数は二十五人と報告された。」

肝心の何条かがミスプリントで残念です。昭和四年まで、祇園も下京区でしたので、四条か五条でしょうか・・・

一方内務省の『公娼と私娼』の昭和五年六月末現在「私娼窟所在地別調」に京都府の私娼窟は登録されていません。一方公娼制を廃止した群馬県は日本最大で五十二箇所の私娼窟が登録されています。これは県単位で廃娼制をとっても
取り締まりの形態が変わるだけで、あまり意味のない事を物語っています。

終戦後は街頭に現れた私娼、いわゆるパンパンの全盛期に入ります。パンパンの語源の由来は、見る本により違うほど沢山あります。真実はどれか一つ、いや、ひょっとしたら私の読んだ総てが造り事かもしれません。

終戦後すぐ公娼制度は連合軍の圧力で廃止されます。しかし便宜上、従来の廓制度は、公娼が従業婦や酌婦、妓楼が特殊飲食店などの名目が変わったものの存続を許されました。これがいわゆる赤線です。由来は東京で従来の遊廓地を指定地として警察か地図上赤線で示したから生じたとされます。一方、事実上は飲料店の名目だけで娼家経営を行っていた地域が、青色で囲まれた故青線と呼ばれました。

そして売春自体は禁止されず、しかも性病の蔓延を懸念した米軍は進駐軍兵士の遊廓立ち入り禁止(off limits)。遊廓に属さない米軍相手のパンパンガールはこういった経緯を経て現れた、言わば必然の存在だったのです。

実は米軍としては一気に売春自体も禁止したかったようですが、国会が、売春婦の厚生施設が伴わない、の理由で成立させませんでした。

連合軍の進駐と京都が戦災を免れていたという条件が重なり、全国からパンパン候補生が京都に集まりました。その多くは生活の困窮者、両親を失った為やむなくこの世界に入った婦女子も多かったと言う事です。

ただし、これを取り締まる明確な法律はなく、しかも米軍からは強いパンパン取り締まり要請がだされ、連日連夜の「パンパン狩」と称される取締検挙は、軽犯罪法を駆使してこれに当るしか当局のすべはなく、検挙されてもすぐ復帰という、米軍に対するパフォーマンス的な側面が強かったようです。

昭和二十二年、米軍の進駐と共に街にあらわれた京都のパンパンは、推定1500人とされ、四条大橋、団栗橋付近から大和大路あたりが本場で、伏見深草の米軍駐屯地にも現れました。

参照:日本売春史・考、吉田秀弘著、京都府警察史、第四巻、京都府警察本部発行【非売品】



by gionchoubu | 2016-03-19 11:43 | 私娼 | Comments(0)