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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京の花街に進駐軍がやってくる

京の花街に進駐軍がやってくる_f0347663_11132902.jpg
                      祇園甲部の芸、舞妓

終戦を迎えた昭和二十年、九月二十一日、米駐留軍の調査隊が入洛、要所を下検分すると早くも二十五日から進駐軍が都にはいり、その後二十九日第六軍司令官クルーガー大将が入洛した。

“進駐軍が京都にやってくる”という緊迫した空気とは別に新聞には「ダンス芸妓募集、経験不問、素人可、十五歳以上」「ダンサー緊急募集、十六~二十九歳、二百人、前借にも応ず」などの広告が踊りました。そして進駐軍専用の「キャバレー鴨川」や祇園甲部の歌舞練場に吉本経営の「キャバレーグランド京都」がオープンしたのです。

花街の方は、先斗町は終戦時、軍の授産場としてパラシュートなどを作っていましたが、戦後は歌舞練場を接収されキャバレー鴨川として舞台を提供、当時の木屋町筋のやとながダンサーを勤めました。

しかし早二十一年五月には配給やありあわせの布を集めて戦後初の鴨川おどりを「平和日本」の題で復活させ、CIDに芸事の町であることを認識させ、接収を解除させました。さらに十一月十一日温習会に進駐軍を招待しております。

宮川町は野砲の薬きょう用紙袋の工場となっており、若い芸妓は知多半島の工場に狩り出されていました。戦後松原署から命ぜられ、四十歳前後の芸妓が二十人、二十年暮にキャバレー宮川町として舞台をホール化して進駐軍専用のダンサーを置きました。

祇園甲部は、駐留軍命令として歌舞練場のキャバレー改装を申し付けられましたが、花街を正当に評価していないとこれを拒絶、すべての建物を吉本興業に貸しました。「キャバレーグランド京都」が吉本経営だったのはこういう経緯があったのです。

復活の都をどりは南座で行うなどの苦労を経てまでも、祇園甲部は誇りを守りました。その後当時の日銀総裁一万田尚登氏らの尽力で向かいの姿に復元、国を相手に補償費一億二千九百万円を勝ち取りました。

上七軒は戦前とほぼ同じ、六十人の芸妓が復活、祇園乙部(現東)も芸妓に百人、娼妓百二十人を数えておりました。

そして座敷にダンスレコードが鳴り、片言の英語が飛び交い京都の花街は新たな時代を迎えたのです。

アメリカの士官を迎えて芸妓が座敷で

「さかづきをおくれやす」

というとその士官が

「さかづきを返すのか」

返杯の風習のないアメリカ人は驚いたといいます。

『戦後京の二十年』夕刊京都新聞社より


by gionchoubu | 2016-03-08 11:21 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)