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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都私娼考 その九

京都私娼考 その九_f0347663_11290235.jpg
                         島原大門

寛文十年(1670)京都西奉行所から、私娼取締りの厳しい通達がだされたのを受け、貞享九年(1685)東石垣で摘発が行われ、茶屋経営者六人死罪、九人牢獄、その他は五畿内追放の大変厳しい刑が施行されました。一方私娼の方は親元に帰されました。

元禄十年(1697)、元禄十三年(1700)、正徳四年(1714)、寛延三年(1750)に京都の白人と呼ばれた私娼や茶立女の名目で商売に励む私娼を排除すべく布令が度々だされます。

当局は茶立女の名目で祇園などに遊女を置くことを黙認しながらも、度々取り締まりが行われた背景には、一つは業者の目に余る行為があったと推察されるのと、もう一つは公許の遊廓である島原から相当の陳情が有ったことです。

その後も明和七年(1770)大掛かりな私娼狩りが行われ、島原に送られ、最下層の遊女として働かされました。人はこれを“島流し”と呼びました。さらに寛政二年(1790)にさらに大きな取締りが行われ、両町奉行所から捕史数百名が動員され、捕らえられた遊女は千三百を超えたといいいます。

この後すぐ、同じ寛政二年に祇園町、祇園新地、二条新地、七条新地、上七軒に正式に遊女屋渡世が認められました。ただし五ヵ年の期限、遊女屋は一廓に二十軒、一軒につき十五人までの遊女を認めるという中途半端なものでした。

『日本花街史』で明田鉄男氏はこの理由を私娼側の猛烈な裏金攻勢があったか、もしくは役人が売女摘発の繰り返しは無意味と気がつきはじめたのではないか、と推察されています。

私は、明治以降がそうであったように、公許の遊廓を認めることにより自治体には苦労なく多額の税金(江戸期は冥加金)を期待できるのと、期限を切ることで、遊廓側に自制を求められること、さらに再開の折にも更新料が期待できる事、などを考えています。

ところが天保十三年(1842)、所謂天保の改革により、京都では島原と伏見の撞木町、中書島の遊所以外総て営業停止を命ぜられ、祇園であろうが、上七軒であろうとも業者は他の商売に鞍替えするか、もしくは島原に移れと厳命されました。これは遊女、芸妓ともども禁止にされます。

翌天保十四年には、遊女をおいて商売させている者を訴え出た者には、たとえ同類の者でも罪を許し、銀二十枚を賞金とするという触れまででました。

但し、天保の改革を進めた水野忠邦が退陣すると、嘉永元年(1848)から緩和策がとられ祇園、二条新地、上七軒、七条新地に再び制限付で遊女が認められました。




by gionchoubu | 2016-03-04 11:29 | 私娼 | Comments(0)