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京都私娼考 その二

西鶴の『好色一代男』に元禄時代少し前の京都の私娼が出ているそうです。
(錦織剛男著、『遊女と街娼』)
似木、二木(にぼく)・・・清水から八坂あたりの娼婦兼業の茶屋女
見世女・・・京都小川通りの糸やの女
間(あい)の女・・・京都知恩院古門前あたりにいた茶屋女ともつかず傾城でもない。
又、京都では街娼である立君や辻君の事を芝姫と呼ぶこともありました。辻子君というのもこの一派でしょう。さらに京都を含む京阪一帯で、私娼を総嫁といいました。鴨川橋付近の川原に小屋を造り、莚を敷いて戸口に立ち客を待ったといいます。又京都の祇園を含め大阪などでも私娼のことを白人(はくじん)とよびました。
京都の熊野比丘尼については以前とりあげましたので、ここでは略します。
次回に続き遊女職業異名です。
『ごぜ』・・・門付けをしながら各地を回る盲目の女性の旅芸人が、生活の糧に
身を売りました。
『女給』・・・カフェーの女が春を売りました。
『白拍子』・・・立烏帽子、白の水干をきて男舞の舞妓(ブギ)を務めし物が売女の代名詞になりました。
『酌婦』・・・一番手っ取り早い方法で、戦後まで生延びました・
『洗濯女』『菜売』『把針兼』(はしりがね)・・・一夜妻として船上に乗り込みました。名目は船員の洗濯、針仕事や不足がちの菜を売る名目です。
『大道芸人』・・・江戸時代、こうした稼業の傍ら春も売りました。
『茶汲女』『茶点女』・・・茶屋の給仕女が遊女になりました。
『茶摘』・・・薄化粧に手拭の頬かぶり、手甲に赤前垂れの艶な姿。
『機織女』・・・機織の工女で元禄時代からありました。
『帆洗女』・・・江戸の佃島にいたそうです。
『巫女』・・・柳田国男氏が遊女は本来巫女であったと唱えておられました。
『銘酒屋女』・・・明治二十年頃より、東京市内の名所に、表面は銘酒の一杯売りを看板に流行しました。実は売女でした。
『やとな』・・・雇仲居が春を売りました。
『矢場女』・・・楊弓店の女がやがて、艶声で男を呼び入れました。
『遊女歌舞伎』・・・あまりに人気が出て風紀を乱しため、とうとう女性が歌舞伎を演じることが禁じれました。
『綿摘』・・・綿を表面の職として密かに淫を売りました。
『綿帽子』・・・女にふさわしき綿帽の製作を表面の営業としました。先斗町が有名。
上記八割程は宮武外骨の『猥褻風俗辞典』を参考にしました。まだ潜んでいると思いますので、書籍等で出会ったら書き加えると思います。
