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by gionchoubu
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白拍子 前編

芸妓を遡れば白拍子に行き着くといいます。白拍子に関しては遊里史、遊廓史、花街史に必ずといって程その記述をみます。しかしその説明にも分かりにくいいのも事実で、私自身も正直よく彼女達の実態を理解できていません。
色々書かれているなかでも、『猥褻風俗辞典』で宮武外骨がよく白拍子をまとめてくれています。曰く、
「平安朝時代の永久(1113~18)年間に起こりし舞妓の名称にて、その舞妓は売淫を兼業とせし者なり。この白拍子といえるは、釈信西(藤原通憲)の創意作曲にて、これを舞妓磯の禅師に教えて舞わしめ、磯の禅師、これを島の千歳、和歌の前に伝えしなり。祇王、祇女、仏、静、千寿、亀菊などはみな亜流にてその名高く聞こゆ。白拍子の称は、立烏帽子に白の水干(すいかん)を着せしゆえの名なりとする説と、ほかに合わせるものなくて舞う素(しら)拍子の義ならんとの説あり。」
この磯の禅師の下りは、吉田兼好が『徒然草』の第二百二十五段に「多の久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に興あることどもを擇(えら)びて、磯の禅師といひける女に教へて舞わせけり。白き水干に鞘巻をさゝせ、烏帽子を引き入れたりければ男舞とぞいひける。これ白拍子の根源なり。」あります。
もう一つ武田完二著『趣味史談遊女の時代色』にはこれより先、和歌ノ前(若御前)が琴と歌舞の名人で、鳥羽院のお召しを受けて、男装で舞ったのが白拍子の起源としています。ほぼ同時代ですので、どちらが先かは詮索しなくても良い様な気がします。
『日本遊里史』で上村行彰は、鳥羽帝の時代公家の男が眉を剃り、お歯黒をして、白粉を塗り、紅までつける風が流行り、武士までこれを真似るという風俗まで現れたことを述べています。白拍子は言うなればこれと逆、一種の倒錯の世界が上流階級におこった事を仄めかしています。
日本遊里史の五年後に出版された『趣味史談遊女の時代色』には明らかに上村行彰の上記の観察を少し言葉を変えて引用した部分があり、さらにそこから白拍子が職業遊女になった過程をとても分かり易い言葉で提示してくれています。
“男舞の舞姫は、初期の和歌の前を初めとして名門の子女であった。彼女等は、芸の志妙を誇って高貴の人々にお目にかけたが、エロを売らうなどゝ卑賤なことは考えなかった。しかし男舞の流行は、自然男共をエロティックに興奮させて、「何とかならぬものか」と思はせた。要求ある処、新たな途が開ける。男舞が次第に職業化するに従って、つい誘惑に打勝てない女も続出したらうし、それを目当てに代償を得んとするあさましいのも殖えた。かうして、男舞の舞姫は、漸次に所謂「遊女」と化して行った。”
by gionchoubu
| 2016-01-29 12:40
| 京都の花街・遊廓
|
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