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by gionchoubu
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伏見稲荷の遊廓

喜多村筠庭著『嬉遊笑覧』巻之九には、まず語られる事のない伏見稲荷門前の遊里を記しています。以下全文です。
藤森稲荷の茶屋は、『好色旅日記』、「藤の森過ぎて稲荷明神、此のあたりの茶屋、簾の隙よりまねくをみれば、皆廿に過たる女ども也云々。出さまに百文下んせといふ。何してやるといへば、此棚のかり賃に亭主にやります」(この亭主といへるは、家主をいふなり)。
『丹前能』(元禄十四年)、稲荷の条、「近年御造宮より此かた、鳥居の前には軒を並べ簾をかけ、うつくしき女、男をみれば鼠なき、あやしや狐のわざかととへば、いやいやあれは此処の茶立女、のぞめば奥にともなひ花代が月、酒を望めば外に分入事也とかたる。月・分とは、いかなることぞ。旦那衆はいかいぐわちかな。月は壱匁、分は五分といふふるい詞を御存ないか」(「月はひとつ、かげは二つ」といふことをとれり。分とは其半分也。又分里などといふ時は、唯色里の事也。分のつとめといふは、遊女年限の後勝に勤る也)。
『稲荷の色茶屋、』に、「稲荷の色茶屋、八坂よりもはるかにわるし」と有。是又元禄の末の草子也。
鼠鳴きとは上記の様に遊女が男を誘い入れる時にする場合と、中野栄三著『廓の生活』で吉原の妓楼では毎日娼婦が営業を始める際、店の責任者などが先頭に立ち色んな所作をして商売繁盛を願う一連の儀式をしました。その動作の中に「拝が終ると男衆は表入口に行って手のひらで柱と羽目板を叩き、鼠鳴きをしてから下足箱の傍らにある下足札の紐を右手に持ち、それを高くあげ鼠鳴きして、下足札で廊下を強く数回打つ、(以下略)」なども廓の鼠鳴の一例です。
伏見稲荷大社は深草にあり、藤森(深草のすぐ南)の神社といえば藤森神社が思い浮かぶのですが、実は伏見稲荷神社は割りと新しい呼び名で、江戸時代は藤森稲荷と呼ばれていました。
伏見稲荷の遊里は上記の記述以外見たことがありませんので、江戸の中期には無くなってしまったものと考えられます。
1971年発行、日本歴史地名大系27『京都市の地名』の稲荷御前町の欄に“稲荷社正面の参道南角に玉屋という料理茶屋が現在も営業を続けているが、このような料理茶屋がこの町にはいくつかあったようで「新市域各町誌」によれば、玉屋の南に万屋・菊屋という家が二軒並び、その南に東へ通じる辻子があったらしく、玉屋と道路を隔てた西側に、大坂屋利兵衛というものの家があり、その南に摂取院へ通じる路地があった”としています。1
*元禄の『女大名丹前能』藤森稲荷の条に「あれはここの茶立女、望めば奥に伴い、花代が一分」が宮武外骨の『猥褻風俗辞典』に載っていました。2016.2月1日付記
by gionchoubu
| 2016-01-09 11:09
| 京都の花街・遊廓
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