
花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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張店、陰店、写真式・・・全国遊廓案内より その6

近畿地方
三重県の部
長島村・・・103、愛知県及三重県の女が多い
四日市高砂遊廓・・・約40、殆ど娼妓は県下の者が多い
石薬師町遊廓・・・20、殆ど本県下の女計り
亀山町・・・35、殆ど三重県下の女が七八割を占めている
一身田町遊廓・・・50、殆ど三重県の女
津市藤枝遊廓・・・70、多くは三重県人
伊賀上野遊廓・・・約20、三重県人が大多数
久居町北新地遊廓・・・31、殆ど本県下の女計りである
松阪町遊廓・・・75、三重県人が最も多い
田丸町遊廓・・・20、殆ど本県下の女計り
神社町・・・30、殆ど三重県の女
名張町遊廓、20、三重県及近県の女
鳥羽町遊廓、約100、三重県の女が多い
的矢遊廓、21、何れも三重県の女計り
娼妓の出身県が書いてないので上記で省いておりますが、三重県といえば伊勢参りの精進落しの遊所として、非公許ながら江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と並び称された古市遊廓がありました。
野村可通著『伊勢古市考』にはこの古市の失われた世界の独特な習慣を、現在に蘇らせてくれるのです。張見世、写真式、廻し、と見て行きます。
「表玄関は六尺程の庭と格子戸である。大格子の奥が所謂張見世で、庭をはさんで三尺程の小格子がある。これを小見世と称す。」
「張り見世とは一種の顔見世である。張り見世はどの妓楼でも、もっとも重要なポイントで、それだけにその妓楼の特色を生かして粋を凝らしていた。その大方は御殿式に作られたものが多く、金襖の背景、一段高い雛段の左右に欄間が、また左側に鏡が仕切られている向きもある。この雛段へ女郎連が、長襦袢の上へ“仕掛け”と称するうちかけを羽織って、順序よく一列横隊に並ぶのであるが、その順序にも自ら順序があるのである。即ち最右翼に座る者を“お職”と称し、前月最も水揚げの多かった者を据える慣わしである。この社会ではこれを“お職を張る”といって誇りとされ、毎月何らかの形で褒章を与えていた妓楼もあった。ひな段へ一列にきれいに並んだ前には、定紋を金で浮かした朱塗りの煙草盆が一つづつ置かれ、列の長煙管で煙草を吹かす風情は、たしかに一幅の絵であった。」
そして本書には写真式についても、実に詳しく教えてくれます。
「昭和初期、世はなべて不景気のどん底、この時にあたりその筋の厳命により、見世物的要素を多分にもつ張り見世は罷りならぬということで、おそまきながら写真展示に踏み切ったのである。ただでさえ不景気に悩む各妓楼にとり、これはたしかに大恐慌で、果してこれで客が満足するだろうか、客足がさらに落ちるのではないだろうか等、数々の不安のうちに各楼は、仕方なく一斉に店舗の改造を始めたのである。」
「名物張り見世は廃止され、角型、丸型、楕円型等、妓労によって夫々の額縁に上半身大写しの写真を入れ、例によって右より序列順に、或は互い違いに、或は一列に展示し、その下に源氏名を明示する。客はその写真によってのみ、敵娼を指名するしかなく、声を聞くことも、実物を見ることも出来ない。全く頼りない話ではあるが、妙なもので、それに馴れると、客も妓も妓労もあまり気にならなくなったから不思議である。」
「客のご指名があると、外ひきさんは元気よく“○○さんご新規”と声をかける。女郎部屋は大体写真展示の裏側にあるが、声がかかると、待ってましたと女郎部屋から飛んで出て、長襦袢一枚の姿で、客につづいて階段を上がってゆく。」
そして、春のかきいれどきなどに用いられた廻しに関する記述もあります。
「そんな時、写真による指名を待つ事なく、まずとにかく二階へ引き上げて後、敵娼を選ばせるという方法もよくとられる。またそういう忙しい時ほどよくトラブルが起る。トラブルの種は大方“廻し”による不満であるが、そのトラブルをいかに円満に処理し、有利に解決するかは主人の力量である。妓楼の主人たる者、常は長袖で、遊んでいるように見えても、いざという時、それだけの才覚と度胸がなければ、またにらみが効かなければいけない。“廻し”は古市の一つの特色であるが、旅の相手なれば、それも仕方のないことであろう。」
大正時代に禁止された張店世が昭和になって少しの間まで古市においては、見逃されていた事になります。これは中央から離れていたことと、江戸時代からの長い伝統習慣だった事が影響したのかもしれません。
三重県の部
長島村・・・103、愛知県及三重県の女が多い
四日市高砂遊廓・・・約40、殆ど娼妓は県下の者が多い
石薬師町遊廓・・・20、殆ど本県下の女計り
亀山町・・・35、殆ど三重県下の女が七八割を占めている
一身田町遊廓・・・50、殆ど三重県の女
津市藤枝遊廓・・・70、多くは三重県人
伊賀上野遊廓・・・約20、三重県人が大多数
久居町北新地遊廓・・・31、殆ど本県下の女計りである
松阪町遊廓・・・75、三重県人が最も多い
田丸町遊廓・・・20、殆ど本県下の女計り
神社町・・・30、殆ど三重県の女
名張町遊廓、20、三重県及近県の女
鳥羽町遊廓、約100、三重県の女が多い
的矢遊廓、21、何れも三重県の女計り
娼妓の出身県が書いてないので上記で省いておりますが、三重県といえば伊勢参りの精進落しの遊所として、非公許ながら江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と並び称された古市遊廓がありました。
野村可通著『伊勢古市考』にはこの古市の失われた世界の独特な習慣を、現在に蘇らせてくれるのです。張見世、写真式、廻し、と見て行きます。
「表玄関は六尺程の庭と格子戸である。大格子の奥が所謂張見世で、庭をはさんで三尺程の小格子がある。これを小見世と称す。」
「張り見世とは一種の顔見世である。張り見世はどの妓楼でも、もっとも重要なポイントで、それだけにその妓楼の特色を生かして粋を凝らしていた。その大方は御殿式に作られたものが多く、金襖の背景、一段高い雛段の左右に欄間が、また左側に鏡が仕切られている向きもある。この雛段へ女郎連が、長襦袢の上へ“仕掛け”と称するうちかけを羽織って、順序よく一列横隊に並ぶのであるが、その順序にも自ら順序があるのである。即ち最右翼に座る者を“お職”と称し、前月最も水揚げの多かった者を据える慣わしである。この社会ではこれを“お職を張る”といって誇りとされ、毎月何らかの形で褒章を与えていた妓楼もあった。ひな段へ一列にきれいに並んだ前には、定紋を金で浮かした朱塗りの煙草盆が一つづつ置かれ、列の長煙管で煙草を吹かす風情は、たしかに一幅の絵であった。」
そして本書には写真式についても、実に詳しく教えてくれます。
「昭和初期、世はなべて不景気のどん底、この時にあたりその筋の厳命により、見世物的要素を多分にもつ張り見世は罷りならぬということで、おそまきながら写真展示に踏み切ったのである。ただでさえ不景気に悩む各妓楼にとり、これはたしかに大恐慌で、果してこれで客が満足するだろうか、客足がさらに落ちるのではないだろうか等、数々の不安のうちに各楼は、仕方なく一斉に店舗の改造を始めたのである。」
「名物張り見世は廃止され、角型、丸型、楕円型等、妓労によって夫々の額縁に上半身大写しの写真を入れ、例によって右より序列順に、或は互い違いに、或は一列に展示し、その下に源氏名を明示する。客はその写真によってのみ、敵娼を指名するしかなく、声を聞くことも、実物を見ることも出来ない。全く頼りない話ではあるが、妙なもので、それに馴れると、客も妓も妓労もあまり気にならなくなったから不思議である。」
「客のご指名があると、外ひきさんは元気よく“○○さんご新規”と声をかける。女郎部屋は大体写真展示の裏側にあるが、声がかかると、待ってましたと女郎部屋から飛んで出て、長襦袢一枚の姿で、客につづいて階段を上がってゆく。」
そして、春のかきいれどきなどに用いられた廻しに関する記述もあります。
「そんな時、写真による指名を待つ事なく、まずとにかく二階へ引き上げて後、敵娼を選ばせるという方法もよくとられる。またそういう忙しい時ほどよくトラブルが起る。トラブルの種は大方“廻し”による不満であるが、そのトラブルをいかに円満に処理し、有利に解決するかは主人の力量である。妓楼の主人たる者、常は長袖で、遊んでいるように見えても、いざという時、それだけの才覚と度胸がなければ、またにらみが効かなければいけない。“廻し”は古市の一つの特色であるが、旅の相手なれば、それも仕方のないことであろう。」
大正時代に禁止された張店世が昭和になって少しの間まで古市においては、見逃されていた事になります。これは中央から離れていたことと、江戸時代からの長い伝統習慣だった事が影響したのかもしれません。

by gionchoubu
| 2015-11-21 12:22
| 遊郭・花街あれこれ
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