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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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元和五ヶ条

元和五ヶ条_f0347663_10511575.jpg

兎にも角にも、日本の風俗史において一番多様性を極めたのは、大正末~昭和一桁ぐらいまでの十年間ではないのでしょうか?

京都、大阪をみても。遊びを提供した場所として、貸座敷、席貸、盆屋、ダンスホール、カフェー、バー、キャバレー、そして遊びを供給した芸妓、大正芸妓、ダンス芸妓、ヤトナ、女給、ホステス、ダンサー、私娼・・・

この間出版されたものとして、

昭和四年、日本遊里史、上村行彰著
       全国花街めぐり、松川二郎著
昭和五年、全国遊廓案内、日本遊覧社編、
       芸妓通、花園花子著
       上方色町通、食満南北著
       芸妓読本、阪口祐三郎著
昭和六年、日本歓楽郷案内、酒井潔著
昭和八年、郷土風景、諸国花街号、郷土風景社
       郷土研究上方、上方遊廓号、創元社

現在でも遊廓史、花街史に於いて大いに引用されるこれらの作品群が僅か五年の間に堰を切ったように世に飛び込んできた背景には何があったのでしょうか?

大まかな時代背景としては、大正十二年関東大震災、昭和三年、普通第一回衆議院選挙があり、そして日中戦争前夜、軍需産業による経済立ち直りの期待感はあれど日本の中は不況と先の見えない不安が渦巻いていました。

昭和初期の全国貸座敷免許地は539箇所に貸座席が11389軒、娼妓が50056人、芸妓が80086人に対し私娼は10万を超えていたといいます。娼妓をとりまく環境としては公娼廃止運動が盛んに行われましたが、公娼の地位は昔と変わらず、遊廓の特殊な伝統に縛られ、自由廃業は公娼制度の中で育まれた遊廓道徳では背徳行為で、事実上大変難しいものでした。

芸妓側では、ダンス芸妓などの洋装の芸妓が現れ、新しい時代に対応しようという流れと、今までの伝統を守るという路線があり、大阪南地で絶大な影響力で君臨した大和家の阪口祐三郎による芸妓読本は、「花街は滅びる、芸妓はなくなる」と盛んに世間で言われることに対する危機感から生まれた新時代に対応する為の芸妓への指南書でした。

この遊廓、花街の停滞状況を尻目に、自由気ままに夜の街に氾濫したのが、カフェーの女給や酌婦でした。上記の私娼10万の多くは女給や酌婦という隠れ蓑を着ていました。

応永四年(1392)頃、京都の東洞院七条あたりに傾城町ができて、昭和三十三年に売春防止法が施行されるまで、日本の遊里史は公許の遊廓と、時代により名前を変え続けた私娼との陣取り合戦でした。官はつねに上がりを納める遊廓側につきました。けれども私娼側は勝利を得ることは無かったとしても、敗れ去ることもありませんでした。

1617年、元和五ヶ条が幕府より申し使わされました。

一、傾城町の外、遊女屋商売致すべからず。並に傾城町囲の外へ何処より雇来り候共先々へ傾城を遣し候事向後一切停止たるべき事
一、 傾城買遊び候者、一昼一夜より長逗留致すまじき事
一、 傾城の衣類、総縫金銀の摺箔等一切着せ申間敷事、但何地にても紺屋染を用ひ可申事
一、 傾城町家作普請等美麗に致すべからず、町役は江戸御待格式の通り急度相勤可申事
一、 武士町人体の者に限らず出所慥かならず不審成者徘徊致候はヾ住所吟味致し愈々以て不審なる者に相見え候はヾ奉行所訴 出べく候事
  
右の通屹度可相守もの也 元和三年巳年三月 奉行

此の条文は、政体が変われども、昭和三十三年まで言葉を変え生き続けました。






by gionchoubu | 2015-11-07 10:53 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(2)
Commented by 番太 at 2015-11-08 13:59
この五ヶ条作った人頭良いですね! 今のキャバクラもある意味遊女屋商売です(笑)
Commented by gionchoubu at 2015-11-08 15:36
ネットで見たらキャバクラが歌舞伎町で出来たのが1980年の半ばらしいです。私はキャバクラに行った事はありません。