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なんでカフェーが忘らりょか


 
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                        パウリスタ

 最近めっきりお見かけしなくなったお店に純喫茶があります。そもそも何故純の一文字が付けられた言うと、不純な喫茶が存在したからに外ならず、この不純な喫茶こそカフェーと呼ばれた業種だったのです。

 いや、カフェーとてもともとは純粋にコーヒーを喫する店で、東京ではプランタン、大阪では川口、木津川橋のカフェ・キサラギが最初と言われています。

 このカフェーが道頓堀に進出したのは、中座と浪花座の間にあったパウリスタで、大正二年に開店すると、二、三年で在阪芸術家たちのたまり場となりました。

一、赤い灯青い灯灯 道頓堀の
   川面に集る 恋の灯に
    何でカフェーが 忘らりょか

二、酔うてくだ巻きゃ あばずれ女
   すまし顔すりゃ カフェーの女王
    何で道頓堀が 忘らりょか

三、好きなあの人 もう来る時分
   ナフキンたゝもよ 唄いませうよ
    あゝなつかしい 道頓堀よ

 その後昭和四年頃流行した道頓堀行進曲の作詞者である日比繁次郎も常連の一人でした。

 パウリスタの少し後にパノンとナンバがほぼ同時に開店すると、ともに若い美術家、文士、その関係者が昼夜頻繁に訪れ、ナンバではコーヒーを運ぶ十六、七歳の町娘を雇い、これが女給と呼ばれた最初の女性になりました。

 カフェーながら酒を呼び物にしたのがキャバレー・ゾ・パノンで旗の酒場の名も持ち、一つのワイングラスに比重の異なる赤、緑、白、黄、茶の五つの酒をいれた五色の酒が売り物で、ここに集ったのが竹久夢二、吉井勇、有島生馬、沢田正二郎らの文学派が中心で、ここにも“女ボーイ”と呼ばれた上品で行儀の良い女給がいました。

 このパノンは浪花食堂、灘万、テルハのバーと短い期間で名前が変わるのですが、ユニオンに名前が変わった頃からカフェーの形態はおかしくなり始め、昭和四年道頓堀の浜側にユニオン、赤玉、アシベ、大笑亭、フランスバー、カフェーシップ、ハレム喫茶ら十軒が建ち、南側にも赤玉支店、丸玉など五軒が客寄せにしのぎを削ったので競争は激化、女給のサービスも過激なものになっていったのです。

 「女給は90センチ以上客に寄ってはいけない」 という変な通達が警察からだされたのもこの頃ですが、電飾は衰えを知らず、昭和八〜十年頃にピークを迎えたといいます。

 もう一つ、道頓堀のカフェーは日本のジャズの魁となり、ジャズバンドによる「私の青空」 「モンパリ」 「ティナティナ」 などが連日演奏され多くのダンサーも現れました。

 このカフェーが南地花街に与えた影響は計りしれず、一現茶屋は客をカフェーに奪われ、一流の本茶屋さえ料金の見直し、客の待遇その他の見直しを余儀なくされたのです。

  宗右衛門町の芸妓は芸者衆カフェー入店厳禁のお達しが花街より通達され、お茶屋の肩を持つ商工会議所からもカフェー討伐論が出されました。

 昭和十五、六年ごろまで南地で覇を競ったのは赤玉グループ(道頓堀に二軒、戎橋に一軒、宗右衛門に一軒)対丸玉で、女給さんも社交係とかパートナーと名を変え、カフェーの中にはキャバレーと名乗る所も出てきました。

 しかし戦争が始まるとカフェーで働いていた女達のあるものは制服に着替え、国防婦人会に入って遺族の慰問に廻りましたが、殆どの者は灯火管制のひかれた闇の街の中に消えてしまった
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大正十年の広告、地獄の如く熱き・・・あまり飲みたくありません。

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  パノン

by gionchoubu | 2015-10-21 12:54 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)