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by gionchoubu
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畠山辻子の遊女屋

色里について書かれた、研究書、地誌、随筆、洒落本を含め、文献では見たことは無いのですが、明らかに昔の京都に存在した遊里に畠山辻子があります。その存在は二つの洛中洛外図に描かれていますので明白です。
まずは、いくつもある洛中洛外図な中で最古と言われる、1525~1537の時代考証がされている町田本には、遊女屋とおもえる軒先で客をひく三人の遊女と三人の客が見え、袖を引かれている一人は僧侶です。
時代で言えば、秀吉に許可をもらった二条柳町の傾城町より五十年前になります。ちなみに文献に現れる京都最古の傾城町は応永四年(1392)に免許がおりた、東洞院七条下ルの九条の里といわれているのですが、どうして七条にあったのに九条なのかも含め何も分かっていません。
田中緑江さんが『京都遊廓見聞録』の「京の廓」で、「傾城補任状」に大永八年、都のどこかに傾城町ができたがどこかわかりません、と書かれております。大永七年は1527年、畠山辻子の遊女屋と綺麗に符号しますので、私は畠山辻子がこの傾城補任状の遊里で、九条の里と二条柳町の間を埋めた都の色里と考えております。
どうして町田本の遊女屋が畠山辻子と言えるかは、永禄四年(1561)から六年の景観内容を現した上杉本に、同じ位置に遊里が描かれ「はたけ山のつじ上ら」(畠山の辻女郎)としっかりと書かれているからです。
上杉本には三軒の女郎屋に七人の女郎が認められ、一人は手鏡で自分を映しています。
畠山町は、御所の近く、上京区室町新町間今出川上ルで、かつて町東側に官領畠山氏の邸宅がありました。近所の方にお聞きしましたが、畠山町のどの筋が畠山辻子か分かりませんでした。
この後の洛中洛外図には六条三筋時代の傾城町がよく描かれ、中でも舟木本の迫力は見るものを圧倒し、上の町で道行く侍の手を取り妓楼に引き込もうとしている遊女、中の町で踊り狂う遊女の集団、下の町でも人目を気にせず往来で遊女を抱きしめる侍が二曲に渡り描かれています。
大阪城天守閣所蔵の洛中洛外図(いわゆる萬野B本に右隻を加えたもの)に描かれた六条三筋の遊里には、傾城屋の軒先で三味線を膝の上に載せ演奏する女、定番の扇子で顔を隠してうろつく侍、輪違紋の暖簾を掲げた妓楼など、文献では計り知れない臨場感で、当時の様子をみせてくれるのです。
洛中洛外図に於ける色里は、祇園祭、母衣武者、河原や北野の歌舞伎とあわせ、京の町を俯瞰するに無くてはならないものでした。



by gionchoubu
| 2015-09-13 12:19
| 京都の花街・遊廓
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