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上七軒ぞめき その十四

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                          梅花祭

“戦争が苛烈さを加えて行った頃、此処も他の廓と同じように廃業されられて、女の子は皆今の北野会館の仮工場へ挺身隊として徴用された。

北野会館では落下傘の紐を作るのが仕事だった。ところが廃業させられた筈のこのお茶屋へ軍のオエラガタと軍需省のオエラガタが夜な夜な現れて「挺身隊を呼べ!」などと威張っていたものである。

今でこそ蚊などは一匹もいないが、その頃は少々の線香などではとても手に負えぬ蚊軍が襲来したもので、そのオエラガタも悲鳴をあげて「これや上七軒で無うて蚊の七軒じゃ」などと蚊帳を吊らせて、その中で散在したものである”

戦後、上七軒に深く関わった石田民三(たみぞう)は戦時中の廓と横暴な軍部の様子を教えてくれています。

さらに、石田民三は明冶末〜大正にかけての上七軒の一月、二月の風習を、大きいお姐さん達から聞き取っておられ『京洛風流抄』に載せていますので、簡単にまとめますと・・・

十二月十三日は「事始」、すなわち芸妓らがお世話になったお茶屋にあいさつ回りにいく日です。そして芸妓には「新帖」(さらちょう)が検番より配られます。この日からの一年間の花代を記入し、満了すれば二番帖、さらには三番帖に進むのです。誰が最初に二番帖を貰うかの激しい戦いの火蓋が切られる日でもあります。

同二十八日はお茶屋さんの台所に「恵方棚」が吊り下げられます。年々変わる恵方のほうにいつでも向けられるように中心が回転する仕掛けになっていました。

大晦日は「おことうさんです」のあいさつ回り、お茶屋では男性自身を模した餅を積み上げ、挨拶に来た芸妓にこれを持たせてそうです。「よい旦那がみつかるよう」「今の旦那さんと幸せに」という想いが込められていました。

元日、「睨み」を睨みながら初膳、置屋では女将が芸妓に「明日おおきな声で言うのえ」などと言います。

二日、芸妓は「******」と叫びながら床を蹴って起き上がります。「ええ旦那を持て」という意味が含まれるのですが、若い芸妓はこれを口にするのを恥ずかしがりました。そして恵方棚の下で弾き始めをしました。

七日、七草粥、恵方棚だけとって年越しまで置き、年越し豆を供えて翌日解体するならわしでした。

松の内に箸紙を取りに来る旦那にはお茶屋さんが無料で酒とお食事を振る舞います・・・が、ひっきりなしに訪れる芸妓に花代、お年玉、仲居への心附け・・・旦那は「只ほど高いものは無い」をしみじみ実感する日でもあります。

二月の節分には、他の花街でもお馴染みの芸妓の仮装によるお化けがあり、旦那のない芸妓は、早く旦那を持てるようにと丸髷を結います。

節分の夜の呪いも三つ紹介されておりますが、その内の一つだけ紹介します。

“その夜泊って眠っている旦那の胸を、夜具の上から、白布で巻いた便所場の駒下駄で「さアお云いやす、お云いやす」と撫でると、翌日旦那は自分から浮気を白状したり、他に隠していたいろいろのことを打ち明けるという次第・・・余り綺麗な小道具では無いが、これが本気で行なわれていた”

“新興キネマ”で名を馳せた映画監督、石田民三は上七軒にも新風と改革をもたらしました。しかい昭和四十三年に亡くなるすこし前「他所からみれば悪習みたいなものが、京のよさなんだね。伝統というけど、京に永い間住みついて、京の人たちとつきあっていかなければ、ほんとうの京の伝統はわからんよ。まして花街のことなんぞ・・・」と述懐したそうです。

*伏せ字はなるべく使いたくないのですが、今回は止む無く使用しました。
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                         梅花祭

by gionchoubu | 2015-09-01 12:16 | 上七軒 | Comments(0)