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by gionchoubu
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上七軒ぞめき その十一

大正十五年時の上七軒の取締は河合安二郎で、出雲キクも長谷川カツも議員兼歌舞協議員に名前を並べます。専属教師は長唄―杵屋新右衛門、杵屋新三、舞踊―花柳輔三郎、花柳輔好、鳴物―田中徳次郎、清元―清元延太津、浄瑠璃―鶴澤友若、茶礼―藤屋光善(西方寺住職)
貸座敷に清水駒、有岡、長谷川、山幸、近菊、大房、吉田家、浅徳、亀政、上みね、藤幾、伊藤、住里、丸美代、大梅、万春、和田末、大秀、高辰、石菊、山下、奥松、河八重、中里、文代、二見屋、大みの、西富三、西とみ、北友、杉浦、高光、西初、村井、岸本、西龍、山愛の三十七軒。
芸妓は六十人、舞妓は鶴千代の一人のみ、義太夫芸妓は十二人、娼妓は一人でした。
当時、技芸練磨の団体としては舞踊に楓錦会、少女舞踊に若葉会、浄瑠璃にみたらし会、もう一つ少女舞踊の若芽会の四団体で、それ以前には長唄の団子会、美成会等もありました。楓錦会は春に研究会、秋に温習会を催す主要団体でみたらし会は義太夫の練習機関です。会場は北野倶楽部でした。
記録の残るものの一部を書き出してみます。
美成会は大正五年に一年毎の会費制(一円)となり、四月一日催された記録があります。出し物は、月の文、蓬莱、囃子越後獅子、四季山姥、綱館、囃子梅の栄、多摩川、囃子娘道成寺、外記猿
温習会・・・大正十五年、十一月九日から『花競俄曲突』として四日間催されました。この時の評を万十生が寄せていますので全文紹介しますと、「独り舞踊ばかりではない声曲にあっては上七軒の芸妓は熱心練磨に努めている、此は今に始まった事ではない、ズッと昔からの慣習となってゐるそして夫を少しも鼻に見せない、俗にいふ、えらそうにせない、其処に上七軒芸妓の美的が具わってゐるのである、鼻にかけず=えらそうにせず=何処までも謙遜で打通すのが上七軒全体の特徴である。」
楓錦会・・・昭和二年四月二十六日、番組は舞―山姥、長唄―外記猿、舞―菖蒲浴衣、舞―蓬莱、長唄―竹生島、舞―軒端の松、長唄―吉原雀、舞―北州、舞―恵方万歳、恵方万歳(乗合船)以外は衣装の無い着流し舞でした。
みたらし会・・・昭和二年五月十七日、玉藻前三段目、先代萩御殿の段、攝州合邦辻の段、千本桜壽しやの段、忠臣蔵茶屋場の段
若葉会・・・昭和四年、三月十四日、卯の花、雛舞三番叟、かむろ、末広狩、晒し女、鳶奴、手習子、栗餅、船揃、娘道成寺
そして昭和六年「北野小唄」が発表されました。作詞、岩井藍永、作曲、杵屋新右衛門、振付、花柳輔三郎
√北野の東風の吹き寄せ送る 梅の薫りを書くたまづさに
染めてひと筆つぼみの封じ 開く手に見る嬉しいへんじ
どうぞ忘れず上七軒へ
√紙屋川辺のすゞしさうけて 花のちまたによい門納涼(かどすずみ)
待てばこがるゝ胸の火移り 蛍三つ四つ来る恋の謎
どうぞ忘れず上七軒へ
√すだく千草の虫の音よりも 三味や太鼓のしらべに合し
芸も実の入る此の秋の夜に 月迄うかれて閨をばてらす
どうぞ忘れず上七軒へ
√五つ揃ふたみたらしだん子 ゆきの降る日も霙のあさも
紙にそなへて茶の湯の相手 昔ありしをいま紋どころ
どうぞ忘れず上七軒へ
参照:技芸倶楽部
by gionchoubu
| 2015-08-26 12:38
| 上七軒
|
Comments(2)
北野小唄 岩井藍水ですか?
0
> 黒子さん
昭和六年7月号の技芸倶楽部に載っていましたので間違無いと思いますよ。
昭和六年7月号の技芸倶楽部に載っていましたので間違無いと思いますよ。
