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by gionchoubu
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上七軒ぞめき その十
長唄、角山梅吉、川端?る子、廣瀬一栄、前田千代
三絃、堀江勝子、大西八重路、桝井鶴太郎、山本美代鶴

現在の京都五花街の舞の流派といえば、上七軒は花柳流、先斗町が尾上流、祇園東が藤間流、祇園甲部には井上流、そして宮川町に藤間流に落ち着いていますが、江戸時代京都の花街は、町娘が習う流派も含め篠塚流が殆どで、僅か祇園に井上流が篠塚流と共存していました。
大正十二年の『技芸倶楽部』を見ると京の踊りの流派は流動的で、当時
上七軒は篠塚流と花柳流が共存
先斗町は篠塚流と井上流だったのが大正時代に井上流が無くなり、若柳流と篠塚流が共存
祇園東(当時乙部)は篠塚流から井上流、そして丁度このころ藤間流に変わりました。
祇園甲部は篠塚流と井上流が共存でしたが明冶五年ぐらいから井上流一色になりました。
宮川町は篠塚流から楳茂登流
その他、七条新地、五番町は篠塚流一色、島原も元は篠塚流でしたが、一時井上流がはいったものの、大正末は名古屋から来た西川流の独占舞台でした。
篠塚流の初代は篠塚文三郎で、良く分からない部分もあるのですが、歌舞伎の影響を受けた京舞で、「手を伸ばさばあらん限り、足を伸ばすのなら伸びる限り」という流儀が伝えられています。
二代目文三郎は天保時代に襲名し、島原の松本楼の娘と結婚しました。そして幕末に亡くなっています。三代目が文三でその弟子の玉うのが明冶の中頃より上七軒で師匠を努めていました。玉うのは篠塚四代目を取ってもおかしくない人で、上七軒出雲の女将(出雲菊子)に大正十年に免許状を出し、玉うのが亡くなった後に出雲菊子は歌舞七段の免許状を受けています。
玉うのが亡くなったのが大正十一年で、これを機にに上七軒は花柳流になったようです。もう一つ上七軒の技芸で大きな変化は、それまで舞の地は専ら地唄ばかりだったのですが、大正の末あたりからの長唄熱です。
これは大正の初め頃から二十余年間上七軒長唄師匠を努めた杵屋新右衛門こと中川道之助の指導による賜物で、昭和師匠が七年他界すると、当時の河合取締役は故新右衛門の名取である菊子、一栄、鶴太郎、千代、〆奴を門下代表として同伴して東上、芝公園妙定院の告別式に参列しております。

十九歳の出雲菊子、将門滝夜叉姫
ジャズドラマーと踊りの師匠は概して長命です。手足の適度な運動が長生きの秘訣だと私は思います。
