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上七軒ぞめき その七

上七軒ぞめき その七_f0347663_14281366.jpg
               映画、舞妓はレディーで脚光を浴びた勝奈さん

明冶十六年、『乾廓三十六花撰』という、上七軒の芸・娼妓をそれぞれ花に見立てたものが『京都絵入新聞』に載りました。ちなみに乾廓と書いてかみしちけんのルビがあります。

前回の『都の花競』が出版された五年後で、当然花競の芸妓も出ており、斉藤小勝が牡丹、舞妓だった佐々木小三も芸妓になって花王(さくら)、やはり舞妓であった中村三四も芸妓となり芍薬(しゃくやく)に例えられています。

筆者は“有っても無くてもよい男、乾廓のデモ客”一々庵百一と小葉散人の両者で、全編他愛のないものですが、当時の上七軒の雰囲気というものが出ていますので、朝顔に例えられた舞妓、山本小福、十三歳の紹介を記しておきます。

「本名は房、小三の妹分と云を以って声価(ひょうばん)可なりによし、姿点(きりょう)充分よからざれども未だ振袖ならば窈窕たる淑女とも謂うべし。評者曰く、芸は天晴れなれども未だ舞妓なれば老練とは云いがたく、天資活発にて、後年粉隊中一方の妓将と成り、天晴よき痴客をとりこにせんとする気性あり。併ながら撰者が朝顔にせしは、チト当られざれども行末を祝する心有ての事ならん」十三歳といえば、今でいうと中学一年、当時の人間の捉え方は現在の尺度では推し量れないようです。

さらに十年後、明冶二十六年、当時上七軒には貸座敷(お茶屋、妓楼)二十六戸、小方(置屋)十戸、芸妓三十三名、娼妓も五名おりました。ちなみにこの小福も二十三歳となり「紳言違はず、今は芸妓盛りの年恰好と成り、上七軒廓の藩屏として信用せられ、管弦当の旗頭にして、貴族議員の鏘々たり、賀すべし、祝す可し」と評されました。

上記は明冶二十六年の雑誌『花柳』七号、八号から得た情報です。八号ではさらに、当時上京区にあった岩上座に例えられた上七軒の芸妓,宮本鶴尾を紹介します。花に例えたり、芝居小屋に例えたり、当時の流行でしょうか?

鶴尾は明冶元年八月生にして真盛町の自家より舞子に出しは、明冶十七年三月廿日、本名らくと云ひ、父は故人となりしも母存命し、至て孝心深く、容貌十人並にて、技芸能就中舞を以て長とす。先年衿替をせし後と雖も、矢張り客に招かれ、重に舞を見す座敷至て面白く、而して酒を飲む事多量。酒飲めば益々舞ふ、恰も亀の酔ひ舞が如し。評者が岩上座に比するは、恐れ多くも本年御題“厳上の亀”と云ふの謂なり。(看客評。評者も随苦しいと見へる)

もう一人、今度は十号から上七軒芸妓、高谷うめが“四季のながめ”で評されています。

評者「次は上七軒の総理、高谷おうめさんでござりまする。」

サシデ口「お梅は花柳第八号の三十六花撰に出てあったぞ。」

評者「此お妓は文久三年五月生にて、舞子より此上七軒へ出やはりましたが、年の行に連れて、益々能く花を売らはります。今ではバリバリ者にて、姉はん、姉はんと立てられでござりますが、芸にっけても夫れは夫れは驚いた程達してござる。」

サシデ口「第一アレはお世辞で行くのだ。」

ヒイキ「兎に角、此妓の上七軒にあるは、実に上七軒全体の名誉だ。」

評者「西陣の旦那衆に沢山御ヒイキがござりまして箱の明間が無位です。」

翌年の上七軒温習会の番組を見てみますと、三番そう、かしま、宇治川、二人神楽、汐汲、浦島、八重衣、神田祭、雪(引抜雷り)、出の玉川(引抜北洲)、園の梅(引抜喜撰)、八島、落人、新岩橋でした。

例えば、今回紹介した山本小福は新石橋で舞を担当しており、前回紹介したお茶屋長谷川の初代女将、長谷川かつが汐汲で三線、園の梅では歌、新石橋でも三線を担当していました。

お茶屋長谷川と長谷川かつは上七軒のホームページにて詳しく紹介されています。
http://www.kamishichiken.jp/history_j.htm

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上七軒ぞめき その七_f0347663_14305508.jpg






by gionchoubu | 2015-08-18 14:31 | 上七軒 | Comments(0)