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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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上七軒ぞめき その四

上七軒ぞめき その四_f0347663_12400631.jpg
上七軒というと、お膝元の北野天満宮の関係のみによって語られる事が多いのですが、秀吉よって山城国中各所に行なわれる神祭法会の場所に御手洗団子を商う特権を得たあと、その権利の実施の際、京都の色んな神社と関わりが出来た話は広がりを持ちました。

石井琴水によれば、明冶初年まで、年に一度は、遊女が杵をとって作り上げた団子を唐櫃に納め、廓の役員付き添いで下鴨神社、さらには近年にも豊国神社の祭礼時に、秀吉由緒とう事でありましょう、これを献じました。

さらに江戸期において、花街、遊廓などは寺社奉行の管轄にあるも、東西町奉行にも年に一度、団子を納めていたそうです。これは見事な一手で、陰にも日にも、廓運営に有利に働いたはずです。

そして、石井琴水は江戸期、毎年五月十五日の今宮の祭禮に、今宮神社の社司が紛失したものの、上七軒がねりものを出した記録を紹介しております。そののち今宮神社の氏子でない上七軒が祭礼に係わるのはよろしからずと、上七軒の支配下にあった五番町にその日だけ籍を置いたという話や、ねりものの歩いたコースも明記されていました。

そして、上七軒に天保時代に存在したと思われる芸者置屋の情報が、最近意外な所から発信されました。臨川書店から発行された、福原敏男、八反裕太郎共著による『祇園祭・ねりものの歴史』がそれで、その中で、天保十一年(1840)長秀画の北野御神事ねり物絵姿が新出の資料として紹介されたのです。

ねりものは簡単に言うと、神事の一環として、ねりものが出る神社の氏子芸妓による仮装行列で、本書で述べられているように、この時のねりものに北野御神事として氏子である上七軒が係わったのは間違いないと思います。

このねり子を出した芸妓置屋が絵姿に書かれており、京や(京屋)、ひゼんや、(肥前屋)、たんはや(丹波屋)、よどや(淀屋)、浅井や、ゐつゝや(井筒屋)、うめや、ますや、萬や、いせや(伊勢屋)、桔梗や、大坂や、一文しや、つるや、あふミや(近江屋)と十五軒の置屋が確認できます。

京都のねりものは、八坂神社の祇園会に練り歩いた祇園が本場で、ちょうどこの頃の細見をみると、祇園の見世は井上屋、京井筒屋、近江屋、三枡屋、松本屋、花菱屋、井筒屋、宇治屋、京屋、奈良屋、水口屋、新屋、桜井屋、井筒、一力、(別の細見なども見るに、この頃さらに、吉田屋、常盤屋、玉家などもあったと思われます、私の資料から丹波屋は見つかりませんでした。)が置屋としてねり子を出し、実際祇園も天保十一年にねりものを出しています。

『祇園祭・ねりものの歴史』ではこの時のねりものが上七軒のみならず、祇園芸妓との共同で行われたの可能性を強く示唆されております。上記のように、当然八坂神社も山城国内の神社である事も鑑みると、八坂神社と何らかの関わりがあったとい側面は無視することはできません。

本書は共催の可能性の根拠の一つとして、祇園ねりものに係わった置屋、京屋、萬屋、近江屋、丹波屋が北野ねりものに参加していることを挙げております。

この時代の上七軒の置屋の名を記した資料が無いので、上七軒に同名の置屋が存在していたか分からず、その点からの考証は今のところ分かりません。

祇園と上七軒は西陣の旦那衆で繋がりも濃かったはずですので、北野のねりものに祇園が係わらなかったという根拠を私として示す事はできません。

わたしが注目するのは、この発見により、上七軒にこの時代少なくとも上記の四軒を除いた、ひゼんや、(肥前屋)、よどや(淀屋)、浅井や、ゐつゝや(井筒屋)、うめや、ますや、いせや(伊勢屋)、桔梗や、大坂や、一文しや、つるや、と十二軒の置屋が存在した事です。

そして、この発見は資料の少ない上七軒の歴史を追う際に於いて、たいへん大きな意味を持つと断言できます。

余談になりますが、祇園の紋章の団子は八つ、上七軒は十個と、祇園が二つ少ないのは、自分たちより歴史が深い上七軒に遠慮して、という話も伝わっています。


by gionchoubu | 2015-08-12 12:45 | 上七軒 | Comments(0)