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by gionchoubu
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上七軒ぞめき その二

京の歌舞伎の芝居小屋は、後に七つの櫓が建ち、今も南座が聳え立つ四条河原がつとに有名ですが、江戸初期のいくつもの洛中洛外図を拝見すれば、四条河原が公許の興行地に定められるまでは、むしろ五条橋や北野で芝居が盛んに行なわれた様子が分かります。
江戸時代の中期、本居宣長も宝暦七年にこの地を訪れ、「貴賎袖をつらねて行きかうさま、まことに都のありさま、いとめでたし、北野ちかく成りては、人せきあひてとをちうへうもなし、芝居物真似商人戯劇のたぐい、数もしらず」「大かたひろき京の中にも、此御社はかり人多くまふつるはあらじとそ思う」と、北野天満宮は京都一の集客力をもっていたと述べています。
享楽地としての北野周辺に於いてはこの上七軒以外、下の森、五番町の遊里をも育まれる事になりました。
さらに、近世、京都第一の産業である絹織物を産した西陣をも控え、西陣の旦那衆は上七軒、職人は五番町という図式は随分古くに出来上がっていたものでしょう。
花街としての上七軒を見て参りますと、出典は分かりませんが、寛文一年(1661)十二月二十四日、上七軒の茶屋で遊女が殺されています。(日本花街史、花街年表、明田鉄男)これが上七軒花街初期の具体的な記録となります。
この上七軒の遊女の起源を『京の花街』渡会恵介著で、その源流を勧進比丘尼、熊野比丘尼や口寄せ巫女に求めているのですが、出典が明らかとされてなく、私が探した限りではこの非合法の尼さん遊女集団と上七軒の関連付けるものは何もありません。
以前も述べましたが、哥比丘尼(勧進比丘尼)が都で本拠地としたのは、建仁寺薬師の辻子(『人倫訓蒙図彙』)や、そのお隣りの山崎町(『京雀跡追』)で、元禄以降のことと思います。また、京の著名な熊野比丘尼として、鳥辺野(清水寺西南)の芳が貞享時代におりましたが、遊女であったかは述べられていません。(『好物訓蒙図彙』)
『日本花街史』明田鉄男著でも、この説を受け「比丘尼は廓地内の真盛町にある西方尼寺との関連であり、巫女はもちろん天満宮のそれであろう」と展開されていますが、天台宗真盛派西教寺に属す尼僧寺が非合法遊女の巣とは私にはとても思えません。
ちなみに藤本箕山の『色道大鏡』巻十四で、本来比丘尼は、主上累代の姫君・摂関の息女が出家したもので、「御身本歴々たる輩なれば、菩提の門に入給ふより、不浄なる事露なし。敢て凡俗の対する事あたわず。北野にちかき西芳寺は、真盛となずく。是道心の比丘尼あつまれる寺也。旦夕の勤行おこたらねば、殊勝かぎりなし」という一文もあります。
この辺りの事情をご存知の方がいらっしゃったら、是非ご教示頂きたく思います。
守貞謾稿に云う「眉を剃らず、白歯を磨き、紅をつけ白粉を装ひ、月代を中がりにして、男の忌中のごとく異体」の女が極上品の加賀笠を被り、びんざヽらという楽器を鳴らし、柄杓をもった小比丘尼を召し連れ、歌唄いながら北野の里をゆっくりと歩いたなら、どこかに記録が残ってると思うのですが・・・
by gionchoubu
| 2015-08-07 13:03
| 上七軒
|
Comments(3)
下の森辺りの女コジキが尼の格好して売春してたと思いますが、上七軒の起源はそれと関係ないと思います。
0
> 番太郎さん
勧進比丘尼、熊野比丘尼に関してはは江戸の中宿を中心とした記録が結構あり、色々考察できるのですが、京都は殆どないので苦労します。
勧進比丘尼、熊野比丘尼に関してはは江戸の中宿を中心とした記録が結構あり、色々考察できるのですが、京都は殆どないので苦労します。
ご返事有り難うございます 正式の僧侶は別として士農工商身分から逸脱した人の一部が僧や尼の格好で非合法の稼ぎをやってたと思います(江戸中頃以降)
