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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ねりもの 四十二

祇園ねりもの 四十二_f0347663_13013868.jpg
月刊京都の七月号に“芸妓たちの祇園まつり”として祇園ねりものを紹介して頂きました『帰ってきた祇園祭り、再び』がテーマなのに、ちっとも帰ってくる気配がない祇園ねりものを取り上げて頂いたのは、多少面映い気持もするのですが、世界に類を見ない、優美で壮麗な行事を皆さんに知っていただく機会を得たのは、大変ありがたく感じます。http://k9ph2.biz/detail/1281681162.html

文中でも触れられていますが、私は昭和十一年の祇園乙部の練物の番付を描いたのは吉川観方だと考えています。その根拠を今回と次回で示して見たいと思います。

昭和十一年の練物は、明冶二十六年に祇園甲部で催された練物から四十年以上経っており、さらに乙部としては初めての練物、本来、この年も甲部が催す事になっていたのが、諸事情で辞退、甲部から依頼され、「では私の方でやりましょ」と引き受けた村上取締でありましたが、乙部の役員一同を含め、練物のことは芸妓連の仮装行列ぐらいの知識しかなかったそうです。

乙部が幸運だったのは、目と鼻の先に吉川観方が住んでいて、やり方、ねり子の衣装の考案、構成、衣装の注文まで、すべてを観方が引き受けた事にあります。

ここで吉川観方の略歴を書きますと、

明冶二十七年誕生  明治三十四年、8歳、四条派の西掘刀水に日本画を習う
明治四十二年、16歳、浮世絵を始める
大正  五年、23歳、京都ではじめて木版役者絵を刊行
    七年、25歳、松竹合名社に入社、舞台衣装顧問になる
   十二年、30歳、故実研究会を創立『観方創作版画集』を刊行
   十四年、32歳、故実研究会の活動を中心に風俗研究にいそしむ
   十五年、33歳、衣笠貞之助監督『大阪夏の陣』で衣装担当

昭和十一年、ねりもの直前に配られた『祇園会ねり物復興記念帳』の中で「祇園会ねり物に就いて」は観方自身が書いており、その言葉を借りると、「さて今度のねり子の扮装種目、及び服具についてゞあるが、その服装は公、武、町家、演劇、遊里等にその材を借り、我国歴代の或は優美、或は壮麗なる風俗を、有識故実の上よりの考証を基として、それぞれ新に意匠を加へたものであって、前述の諸古記録に見えたる祇園会ねりものゝ精神に力めて倣はんとし、全般としては、必しも最後のねりものとも見るべき明冶復興の際のそれに依ってはいないことをお断りしておく」と、風俗研究家として第一人者としての、漲る自身と自負を感じさせる文を書いております。

確かに、この吉川観方が指揮を執らなかったら、昭和十一年はなんとか催す事は出来たでしょうが、昭和三十五年まで、その後四回はとても無理だったと私は考えています。

 
by gionchoubu | 2015-06-30 13:04 | ねりもの | Comments(0)