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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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猪崎新地ぞめき 遊郭移転

猪崎新地ぞめき 遊郭移転_f0347663_12455191.jpg
                  大正初め頃の猪崎花街の芸妓と舞妓

明冶二十九年八月三十日の暴風雨で、土手にあった下柳町の遊廓の建物が『歩兵第二十連隊ト福知山案内』では数戸、『京都府案内誌 丹波之部』では全戸が流失しました。この時音名瀬橋も流失しましたので柳町の遊廓が壊滅的状態だったのは確かなところです。

明冶三十二年一月二十日、これが契機となり福知山町字下柳の遊廓は対岸の猪崎に移転しました。『庵我村誌』によれば、この間明冶二十九年には歩兵二十連隊を福知山町字岡に設置の内報を得ており、実際三十一年には大阪から連隊は移転しております。

遊廓が移転した理由は、当時の代議士奥繁三郎、府会議長山口俊一の二人が、町中に遊廓があるのは風紀上よろしくないという論調を展開し、これに呼応したのが旧藩士の家柄でありながら妻に田中楼を下柳町に開業させ、自らは金貸業で莫大な資産を得た田中蔵平で、猪崎に数万円の工費を投じ、多くの貸座敷を建て、さらに薄資の営業者に貸与して猪崎新地の基礎を築き、自ら明冶三十七年まで取締を勤めました。

下柳の指定地は限りがあり、これを拡張して遊廓地域を広げる事は、先住の人が住むので事実上無理で、福知山に連隊移転の内定を得た有力者が、水害で下柳が消失したのを幸い、猪崎に新天地を求めて首尾よく遊廓拡張と繁栄を勝ち取ったわけで、この田中蔵平は大正三年発行の『現代天田郡人物史』に、福知山遊廓の功労者として略歴が載ります。

明冶三十四年の『福知山案内』に青楼八十三戸、芸妓四十二名、娼妓八十五名、娼妓検黴所五兼事務所検番、九戸の飲食店と三十五の貸座敷が挙げられています。

『庵我村誌』には明冶三十二年の貸座敷三十五戸、後で述べる大正四年発行の『歩兵第二十連隊ト福知山案内』には貸座敷四十八戸が記されていますので、『福知山案内』の青楼八十三戸は著者の青楼(本来青楼=貸座敷)の認識に誤りがあったと推測されます。この八十三は当時の猪崎の全戸数だったと私は考えます。

その三十五戸は、宝来楼、瓢亭、吾妻楼、愛国楼、青柳楼、山秀楼、福井楼、松原楼、小前楼、魚寅、沈清楼、藤田家、大梅楼、松本楼、新橋楼、中村楼、末広楼、橋本楼、魚瀧、丸山楼、田中楼、百山楼、山村楼、平岡楼、開化楼、吉田亭、松葉楼、常盤楼、双葉楼、若戒楼、明冶亭、音無瀬楼、開勢楼、可笑楼、片山楼でした。

この後、猪崎は陸軍型遊廓として発展を遂げ、戦後軍が自衛隊となっても、その需要は絶えず、売防法後も芸者町として残りました。

大正の初めには、貸座敷が音名瀬、松葉、明冶、山村、お多福、丸八、をし鳥、新橋、萬栄、山段、春の家、玉水、酒井、吉田亭、塩見、梅の家、荻野、壽、玄開、水月、吉野亭、宝来、日進、中村、自由、近波、山田、末廣、藤田家、松尾、良久亭、大路、亀の家、京八重、丸一、臺一、綾部、植村、栄盛、杉の家、福崎、見晴、魚虎、盛月、青柳、鶴の家、武蔵、辻絹の四十八戸、娼妓百二十名、芸妓五十五名を数えました。僅か十年で業者が大分代わったのが見て取れます。

柳町時代には、遊廓事務所内に検番、芸娼妓の職業訓練学校といえる女紅場を併設していましたが、移転と同時に事務所と検番を分離し、女紅場は事務所楼上を仮用し歌舞の奨励に努めたとあります。

その時代の取締は岸市蔵は新橋楼の主人で、明冶三十七年取締となり、以後再選を重ね、大正二年には遊廓事務所に購買組合を設置したり、城山に公園を設けて芸娼妓の娯楽場にしたり、猪崎遊廓の向上発展に努めました。



by gionchoubu | 2015-06-11 12:47 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)