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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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猪崎新地ぞめき 柳町時代

猪崎新地ぞめき 柳町時代_f0347663_12110530.jpg
福知山の遊廓で一番古い時代の記述は『京都府案内誌丹波之部』の猪崎貸座敷組合の項で「当組合の沿革については古文書なきため不詳であるが口碑によれば明冶五、六年頃、大阪より来た商人が芸妓を置いて待合茶屋を始め、其後町の発展に共ふて同業者増加し、明冶二十年頃、其筋の取締上由良川堤防に集団を命ぜられ、次第に増加し営業者数二十五軒に増加せしが隅々明治二十九年の大洪水の際全部流失し、明冶三十一年現在の地に移転す」とあります。

現在の地が福知山猪崎新地(いざきしんち)になります。

実際に由良川の堤防に遊廓が開かれたのは明冶二十年ごろではなく、明治十二年が有力だと思われますが、ここで注意したいのは、福知山は京都府にもかかわらず、大阪の商人が明冶五、六年ごろ基礎を置いたという下りです。

明冶五年は所謂マリヤルーズ号事件の余波で芸娼妓開放令が通達され、大阪の遊廓も制度の改革や編成を余儀なくされ、この荒波に嫌気のさした商人(遊廓業者)が新天地に活路を見出したと考えることもできます。

よく、福知山のような城下町には江戸期から遊廓、花街なるものが存在したように思われる向きもあるのですが、江戸期に遊廓を設けた城下は少数派です。そして、こういった商売はかなりのノウハウを必要としますので、大阪の業者がこれをもたらしたと見るのが自然であろうと思います。

福知山遊廓が出来たのは、『庵我村誌』によると、「明冶十二年、天田郡役所を福知山町に開庁。遊廓を上、下柳町堤防上に置く」というのが信憑性が高いと思います。

また、『歩兵第二十連隊ト福知山案内』に「同廓は明冶十年時の知事槙村正直氏の許可を得て福知山柳町の堤防に設置したるものにて、当時は山秀、瓢亭、大梅、柳花、天橋、吉田、武蔵、音名瀬其他合計二十二戸にて娼妓二十名芸妓三十名許りなりしも相当繁昌を極め音名瀬楼抱へ薄雲の如きは非常なる全盛なりしと云う」という極めて詳細な記述があります。

すると、遊廓の申請が明冶十年で、実際の営業が十二年といった所と推察されます。

この上、下柳町の堤防とは、音無瀬橋から治水記念館あたりまでの堤防、現在画像で示した道路になっている辺りで間違いないと思います。この福知山治水記念館は明冶十三年に建てられた元呉服屋さんで、福知山で最も古い町家の一つで、堤防上の遊廓とほぼ同時期に建てられた事になり、当時は二階からはさぞかし絃歌さざめく、といった趣が有った事でしょう。

なお、その後柳町の時代を経て猪崎遊廓に移った家に、上記の音名瀬楼以外に、明冶二十二年足立卯策が創業した明冶亭や明冶二十年開業の山村楼がありました。山村楼の創業者は大阪橋奉行黒井伊助の孫で、美濃大垣の藩士金森国三郎に嫁せしも故ありて師匠山村の家名を継ぎ山村たき子と称し福知山で貸座敷を開業したとの事です。

そして、この遊廓のあった土手を下ったところが、花火大会で痛ましい事故現場でした。



by gionchoubu | 2015-06-08 12:12 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)