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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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五条楽園ぞめき その十四

五条楽園ぞめき その十四_f0347663_12092999.jpg
                      五条楽園歌舞練場

それが赤線廃止で、昭和三十四年に、芸妓一本の町に衣替えし、<五条楽園>と名も改めたのである。魅力は<一現>でも、お茶屋へあげてくれること。お茶屋から、すぐに置屋を通じて芸妓が呼べる・・・と渡会恵介さんは『京の花街』で当時の五条楽園のシステムを紹介しています。

芸妓をお茶屋へ呼んで、徹夜で騒いでいることは出来ない。そのかわり、近辺に、むかし貸座敷をやっていたところがバーを経営しており、廓のなかに<旅館組合>があって二十軒が営業しているので、お茶屋から旅館へと、“座敷”を移すことも可能だし、恋愛は自由だから、ここで“愛”が生まれても干渉はされない・・・とも説明されています。

恵介さんは、実際私はお目にかかったことは無いのですが、祇園をどりの作家をされており、祇園東に馴染み深く、京都の花街に深い造詣もありました。

木村聡さんは『消えた赤線放浪記』で昭和四十一年発行の『全調査京阪神周辺 酒・女・女の店』を引用し、当時の五条楽園の、「芸妓は名前だけでなく、六ヶ月間はお座敷にも出さず、みっちり芸を仕込んでいる。芸といっても長唄、三味線の類では、いまの若い人たちにアッピール(ママ)しないとあって、もっぱらギター、アコーディオン、歌謡曲などのレッスンが主。サラリーマンでも芸妓遊びができるよう、大衆的なお茶屋を目指しているそうだ。芸妓たちはほとんどが通い。ここらがミソで、お座敷で話し合って勤めの終わった十一時ごろから二人きりでどこへ行こうと、それは束縛するすべもない。」という雰囲気を、三味と踊りは習いもするが・・・というタイトルで読者の想像に委ねました。

さて最後は、JTBのツアーガイドを定年退職され、京都の町歩き英語ガイドの草分けとして、二十五年ほど外国人相手に、ガイドブックでは知ることの出来ない、レアーなれど日本の魅力一杯のツアーをされている、JONNY HILLWALKERで日本より海外メディアで絶賛された平岡さんと五条楽園の話です。

私もこのツアーに今から二十年くらい前、と十年くらい前の二度実際このツアーに参加させていただきました。(英語の勉強中の日本人もよく参加されていました。)

このツアーの醍醐味は、例えばごく普通のお寺で、外国人がまず説明受けることがない卒塔婆に関してのレクチャーがあったり、途中でこれも当時外国人があまり口にすることが無い稲荷寿司の試食があったり、(これまた完全なベジタリアンフード)、一比め神社や枳榖邸など、日本人でも京都通が巡るところに立ち寄ったりといったところにあります。

この平岡さんは五条楽園を多い時は40人の外国人を引き連れいつも歩いて五条楽園を縦断されています。途中には任天堂の創業地の建物があり、外国人に今の任天堂のギャップを楽しんでもらうことが出来ます。

そして、これまた外国人には未知の世界である、任天堂が今でも販売している、花札のボックスを空け、一枚一枚は名札を参加者にプレゼントしていました。

二年前、平岡さんとゆっくり喋る機会があり、当初五条楽園を歩き始めた時は、そうでもなかったのですが、ある時より急に着物姿の女性が増えたのは、このツアーの外国人の目を意識したものだったのでは無いか?と平岡さんがいかに真面目な人で愛妻家であることが分かる問いかけがありました。

私は、とても残念でしたが、やんわり否定せざるを得ませんでした。




by gionchoubu | 2015-06-05 12:11 | 五条楽園 | Comments(2)
Commented by 今紫 at 2015-06-16 07:19
ぞめき様、おはようございます。

先日、五条楽園に関する書籍のページを見つけました。

紅燈-遊里研究 特集 京都 五条楽園
http://dreammesse2005.cart.fc2.com/ca50/695/

この本は遊里(遊廓)研究の方々が発行し以前はホームページがありましたが今は掲示板のみ残っています。

五条楽園の歴史が風化する前に伝えようとしたのではないでしょうか。
Commented by gionchoubu at 2015-06-16 13:39
>今紫様、コメント有難うございます。紅燈、愛読していますよ。写真も独特の雰囲気を醸し出して素晴らしいですね。
リンク先で買えますので、これをご覧の皆様にもお薦めさせて頂きます。