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花街 幕西遊郭


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前回、遊廓の側面、娼妓側からの室蘭幕西遊廓を紹介させて頂きましたが、今回は北海之花街発行所から出版された『北海道乃花街』より、幕西遊郭の花柳界、すなわち花街の視点で見ていこうと思います。

この本が発行されたのが大正十四年でしたので、曽根富美子作『親なるもの断崖』の物語が始まる昭和二年前夜の状況が捉えられています。北海道乃花街によれば明冶二十八年に幕西に遊廓が許可される前、貸座敷は札幌通りにあったといいます。芸妓はその前から少数はいましたが、幕西開廓以来急激に増えました。これは時代的にいうと日清戦争終結後と重なります。

お茶屋や芸妓を取り持つ花街事務所というべき見番ができたのは意外に遅く明冶四十年で、これを室蘭見番として立ち上げたのが旅館福井館主人、福井三郎、常盤、室川、元菊水の主人らで組合組織として作りました。

その後大正七年に室蘭町見番が株式組織として、八尋徳吉により設立され、室蘭見番すなわち室見に対し(室蘭)町見番と呼ばれたようです。普通一花街一見番が原則で、複数見番が存在する場合、廓内になにか揉め事があり、対立勢力が新見番を立ち上げたのが常。ところが室蘭の場合、室蘭見番の了解のもとの創設となります。

新設の理由も、芸妓の我儘を矯正したり、勉強を促す為との動機ですが、この様な新見番の立ち上げは全国的に見て稀有の事だったと思います。

町役場の調べで大正六年では、娼妓数九十七、芸妓数三十と当時は娼妓本位の遊廓といえます。

ところが『北海道之花街』では大正の末頃になると、室見の構成が、取締福壽、福取締竹吉、評議員糸八、同みさほ、小てる、茶良子、久子、金弥、おかる、市子、千代丸、秀勇、太郎、ひな子、ぽん太、老松、おはん、小里、千成、奴、音丸、勘平、おはつ、やま子、茶目、小蝶、まり子、たか子、一丸、富子、八千代、定子、あや子、たえ子、文子、五郎、高千代、鈴弥、一奴、栄子(以上本玉つまり芸妓、地方)まる子、みや子(半玉つまり関西で言う所の舞妓)となり、室見だけで四十二名の芸妓、半玉を数えることが出来ます。

一方、町見の大正十三年十一月末の構成は、取締が喜久助、萬作、米八の三人で、六助、小鉄、みよし、成駒、喜代香、一栄、かよ、時助、菊治、はな子、ふみ子、秀子、福栄、若丸、小市、太郎(本玉)てまり、福太郎(半玉)の二十一名の芸妓、半玉が所属し、両方合わせると六十三名おり、親なるもの断崖の背景には、娼妓本位から芸・娼妓本位に移る幕西の花柳界としての成長が伺えます。

同書は、当時の室蘭の人口に対する芸妓数が九百人に一人と、人口に対して芸妓の率が高いのは、この花街が元からの市街方面に片寄っているのと、便利な地点にあり、且つ又、後家屋の数の多さに因ると分析しています。

ちなみにこの時期の線香代(花代)は両見番とも本玉四十銭、半玉二十五銭、はじめの一時間は四本、次の時間より三本、見番の手数料は本玉一本につき四千、半玉二銭五厘、料理屋のハネ線は本玉一本に付五銭、半玉が三銭でした。

又、当時の室蘭の旗亭(旅館、料理屋)十三軒の内、紹介するに価するのは常盤、よし兼、室川、川清。室見で名妓は糸八、老松、ぽん太、町見が米八、六助、その他売れっ妓が室見の千代丸、おはん、千成、小てる、ひな子、まり子との事でした。その内、おはん、糸八の二人は冒頭の画像で確認することができます。



by gionchoubu | 2015-05-19 15:33 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)