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室蘭 幕西遊廓 後篇

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                      幕西見番と芸妓たち

明冶末ごろの幕西遊廓には蛇の目、有馬、兼松、いろは楼が人気で、娼妓数は併せて百人ほど、泊まりが二円五十銭、時間制で一円程であったといいます。

大正元年の貸座敷、料理屋は近江楼、清花楼、蛇之目楼、常盤楼、市川楼、政菊楼、菊本楼、三益楼、金盛楼、喜久満楼、三栄楼、新野楼、榮楼、巴楼、長栄楼などで、娼妓数九十七、芸妓二十八、酌婦三十、娼妓の平均稼動数九十回、遊客は一万四千七百九十七人。

下の表は町役場調べの抜粋です。

      貸座敷  芸妓   娼妓   酌婦
明冶四十    九  二十五  七十九  四十
  四十三  十五  二十九  九十   五十
大正  二  十六  二十八  九十七  三十八
    四  十七  二十五  百    四十二
    六  十七  三十   九十八  三十九  

昭和五年発行の『全国遊廓案内』によれば、当時貸座敷が十六軒、娼妓数九十五人で北海道出身の女性が多かったようです。店は写真店、娼妓は居稼ぎ、遊興は廻し制、乙は三円、甲は四円で本部屋に通されます、ともに台の物がつきの料金です。

居稼ぎ、廻し制、台の物については以前説明しました。写真式と本部屋についての説明は近い内に試みます。幕西遊郭が舞台となる曽根富美子のコミック『親なるもの断崖』の時代設定はこの頃以後の話になります。

妓楼は第一長栄楼、昭和楼、菊本楼、恵比須楼、蛇ノ目楼、富山楼、清花楼、いろは楼、第三長栄楼、芸備楼、菊栄楼、清明楼、手留喜久楼(たるきくろう)栄太楼、清川楼、明冶楼など。

昭和十九年三月を期限に風俗店に併せ料理屋も営業停止、職場を失った芸妓、酌婦は会社の寮の雑役婦や、掃除婦等に転業、貸座敷、料理店はアパート、旅館あるいは軍に徴用され陸海兵軍の宿舎、もしかは廃業になりました。

終戦後はアメリカの進駐軍が室蘭にもやってきましたが、商工会議所の前身である北海道経済会室蘭支部は、幕西遊廓の一部、三等小路と呼ばれた地域を赤の斜線で囲いoff limitの看板を掲げ、進駐軍立ち入り禁止にしました・・・いわゆる赤線地帯です。

この時、幕西にはもう一つ公認慰安所である第一清明楼が立ち上げられ、幕西に残った娼妓のうち、ここの接客婦になるものがおりました。

昭和三十年頃、全国花街連盟が調査した全国の花街所在地に室蘭が載りますので、芸妓町として、即ち花街として認識されていた事が分かります。

昭和三十一年、売防法が公布、約二年後に実施、幕西遊廓は自分に与えられた役目を全うし、娼妓たちは開放され、遊廓としての一生を終えることが出来たのです。

この幕西遊廓の消長を見守ってきた“日本一坂”という“くの字”の坂があるらしいのですが、それがどこにあるのか、今でもそう呼ばれているのか、そもそも何故日本一なのか、室蘭を訪れたことのない私には知る手立てがありません。

参照:星霜 北海道史、北海道新聞社編・新室蘭市史第四巻・北海道遊里史考、小寺平吉著



by gionchoubu | 2015-05-05 11:12 | Comments(6)
Commented by 今紫 at 2015-05-05 18:29 x
花街ぞめき様

幕西遊廓の記事を拝読しました。ぞめき様に是非読んでいただくものがあります。室蘭出身の女性漫画家が執筆した「親なるもの 断崖」という20年以上前の漫画作品です。この作品は幕西遊廓を鮮明に描き、そこに生きることを余儀なくされた女性たちの声が聞こえます。既に絶版で電子版でしか観賞することができませんが念のためアドレスを載せます。きっと役に立つと思います。

http://k-manga.jp/top.php?d=dl&m=dl000&book_id=86007 (有料)


Commented by gionchoubu at 2015-05-07 10:07
>今紫様、遊郭、花街の類形その13の記事別アクセスが突出していましたので、唐突に室蘭をとりあげたら、さらにアクセスが増え、ジャンル別の北海道で2位になりました???
親なるもの 断崖の影響でしょうか?
機会があれば読んでみたいと思います。
情報有難うございました。
Commented by カフェラテ at 2015-05-10 10:37 x
こんにちは。初めまして。
私も「親なるもの 断崖」を読んで幕西遊廓を初めて知りました。ほんの数十年前に実際にこういう事が行われていたのですね。日本人はもっと自分達の歴史を知り、語り継いでいくべきですね。
ネットで有料ですが、初めて課金してまで読んだ漫画です。「女性の社会進出は遊女から始まった」
とても衝撃的な内容です。女性のみならず男性にも数多く読んでほしいと思いました。
Commented by gionchoubu at 2015-05-11 14:19
>カフェラテ様 コメント有難うございます。

「親なるもの断崖」が描いた昭和初期、外地である樺太、満州、朝鮮にも多くの遊廓がありましたが、娼妓の多数派は日本人で、料金も日本人のほうが二、三割高いのが相場でした。朝鮮の会寧面北新地では、朝鮮娼妓の大半は和服で日本語も達者でした。つまり外地に置いては邦人が恋しいのは人情で、日本人は基本同胞を選んだのです。
その後の大戦中の資料は存じ上げないのですが、少なくとも明日をも知らぬ兵隊さんが、最後に望んだのは同じ日本人であったと断言できます。
そう言う意味でも、実情を知るには真実の掘り下げが必要と考えます。

Commented by 商店街 at 2015-05-31 20:39 x
幕西の近所で産まれ育ったものです。
日本一坂についてですが、今でもそう呼ばれています。
日本一の由来は、その坂に日本一という店名の蕎麦屋があり、その店で事件があったため呼ばれるようになりました。
日本一坂自体は幕西にありませんが、当時港湾労働者が沢山居たため、その人たちが坂を登り幕西の方へ行ったりしていました。(幕西自体も坂一本とその両側からなる地域ですが、幕西の坂を出た通り(札幌通り)から港に行くにはさらにもう一段坂を降りる必要がありました)

私は昭和50年代生まれですが、当時は遊郭という雰囲気は皆無でしたが、変わった造りの旅館がいくつもあったり、愛人をしてる人が住んでたりと、思い返せば・・・という痕跡がありました。
Commented by gionchoubu at 2015-06-01 11:53
> 商店街さん
コメントありがとうございます。日本一坂健在ですか・・・なんとなく嬉しい気持ちになりますね。そして日本一の由来、蕎麦やで大きな喧嘩でもあったのでしょうか、官吏と労働者の刃傷沙汰・・・鳴りやまない警笛、想像が膨らみます。
それにしても坂に富んだ街、花街に芸妓を上客を、車夫は割増料金を貰わないとやってられない・・・と客待ちの間愚痴っていたかもしれません。
遠く京都より室蘭幕西に想いを馳せております。