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室蘭 幕西遊廓 前篇

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北海道室蘭蛇之目楼美人揃、表面及ビ裏座敷、真ん中に番頭への御祝儀お断りの張り紙、明冶四十年頃

明冶以後、日本が国策として北海道開拓に着手したのは、当時ロシアが千島の大半を占領し、樺太にも進出、あわよくば北海道も、と触手を伸ばしてきたのが強迫観念となって日本の中枢に張り付いたからで、明冶四年、札幌本府の建設が再建されると、数千人の職人を落ち着かせる為、判官・岩村通俊(みちとし)が労務対策として着手したのが、札幌の薄野遊廓でした。

遡ること十五年前、室蘭最初の遊女屋は、安政三年(1856)函館から移住してきた富士山良吉が元室蘭で営んだ富士山旅館とされ、百九十四坪の敷地に多数の遊女を置いたといいます。その頃、波止場から遠く離れた東小路には私娼が盛んに出没しました。

そして同じく明冶四年、開拓使の手で小樽に上陸した遊女五十四人のうちの一部が室蘭に移され商売を始めました。(『古老昔日談』河野常吉)開拓史が送り込んだ遊女が帯を解いたのは、室蘭札幌通り二丁目から四丁目あたりにかけて点在した貸座敷(妓楼)だったと言います。

沢町入口に酔喜楼、幕西入口に武蔵野、幕西に近江楼、桜井楼そして大町には梅香楼と蛇之目楼の六軒の妓楼が有りました。

明冶二十年頃は、屯田兵の輪西移住、炭礦鉄道会社の工事なども重なり、需要が増し、室蘭港に寄港する船舶の乗組員たちが遊女町としての幕西(まくさい)を支えました。

しかし、住宅街も近く、風教上の理由で地域住民の反対運動があり、明冶二十五年四月、北海道庁は告示第二十号で、本町字老名牛(追直)に移転を慫慂しました。

ところが、移転と目された追直からも、附近漁民の大反対に会い、結局明治二十八年に幕西町が遊廓区域指定の告示が公布され公認の幕西遊廓が誕生しました。そして先ほどの六軒に金盛楼や清花楼などが相次ぎ店を構えました・

ちなみに幕西の語源はアイヌ語で後方の森を意味する「マクン、ニシ」が有力で、もう一つ、かつて高貴の方が室蘭巡行の際、幕で遊廓街を隠したので幕西と言われた、という由来説がありますが、これはどうでしょう、かえって目立つかと思います。

幕西遊廓が出来た頃は、北海道で続々と遊廓が公認されており、明冶二十七年から三十三年に掛け、古字郡盃村、苫前郡羽幌村、幌泉郡幌泉村字沢町、広尾郡茂寄村字新道、網走町北見村、厚岸郡厚岸町、瀬棚郡瀬棚村、留萌郡留萌村、礼文郡香深村、神恵内村字茶屋町、忍路群塩谷村、空知郡岩見沢町、苫前郡焼尻村、松前郡吉岡村字寺町清水町、枝幸郡枝幸村、空知郡瀧川村、小樽郡入船町奥、厚岸郡霧多布村、礼文郡船泊村、野付郡別海村、浦河町、上川旭川町曙町と、この遊廓建設ラッシュは明冶十七年末から北海道各地で続いており、まさに北海道開拓史に於ける国家事業の一環として、計画的に行なわれたと見てよいでしょう。

これらの遊廓に身を投じた女性達は、沢山単身で北海道に乗り込んだ男共の一夜妻として、開拓の最前線にいたのです。








by gionchoubu | 2015-05-02 12:06 | Comments(0)