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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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下河原の山根子 後篇

下河原の山根子 後篇_f0347663_11340523.jpg
京都の有志が伏見宮殿下を南禅寺畔の市田氏別荘に御招待したとき、接待をまかされた祇園の芸妓が「鬼の尾捕らふ」を披露しました。手を広げているのが小三、すぐ後ろが舞の名手、松本佐多。

天保十三年(1842)、幕府による所謂天保の改革で、下河原の芸妓も禁止令が出て差し止められるのですが、『辻打大概記』に下河原にそのころ舞芸者五十八人がおり、「祇園町遊女屋とも出張取扱仕候由。円山並に双林寺又は右最寄料理店へ・・・」とあります。

明冶三年、島原より出稼ぎの名義で芸者稼業を許されました。明冶五年写の『京都府下遊郭由緒』の付録に下河原の区域が載ります。それによりますと、下河原町に芸者召抱人、岩井うの、加藤?二、茶屋渡世人、高橋保三郎、茶屋渡世及び芸者召抱人、小堀太三良、上田こま、上田佐兵衛、他、鷲尾町、月見町、上弁天町にも同様な業者が名前でかかれております。

これは江戸期の祇園がそうだったように、芸妓町ながら検番制度が無く、検番の機能をもった茶屋渡世及び芸者召抱人が扱い店となって、芸者召抱人である置屋と茶屋渡世人でグループを組んで、置屋から茶屋へ芸妓を送ったものと推察できます。

この関西独特の扱店制度は祇園では明冶以後検番制にうつりましたが、大阪では扱席の名で、昭和の時代までこの制度を持っていました。

明冶五年、祇園の都をどり、先斗町の鴨川をどりに対し、下河原も東山名所踊を催しました。当時月見町に女工場を置き、山根子も健在でした。

第一回は明冶五年三月二十日より、名題は「若菜草千代」で、会場は安井神社前平野屋席で、趣向は都をどりや、鴨川をどりと同じであったとされますが、明冶七年には温習会形式になり、一つ一つ独立した舞を舞い、最後に東山名所踊りを出しました。

この時の演題は、三番叟、娘小町、面うり、鞍馬獅子、朝妻、咲揃千代の梅香(椀久)玉取海士、さらし田村、山姥、ましら、信乃、樽拾い(でっち)、達奴、弥生達遊び(おなつ)、園の梅、艶容対之染模様(お染久松)、子持山姥、妹背山道行、村雨松風、二人万歳、相模海女、兼道、嵐山部屋見舞、花車、七福神茶摘遊、伊勢参り等で五月三日より、日延べを重ね六月十三日までの期間興業しました。この踊りは明冶十二年まで続きました。

もう一つ、下河原にはそれ以前から「まくづ踊」という一種の総踊りがあり、都をどりの原型とも言われています。

明冶十一年刊『都の花競』に下河原の部があります。娼妓は一人もおらず舞芸妓のみで
 
下河原町   小花 上田佐兵衛長女  上田えい 二十九年八月
     舞 小歌 上田こま長女   上田うた 十四年十一月
          加藤かち長女   加藤とよ 三十七年六月
          同   次女   加藤小豊 三十二年一月
          高木林造次女   高木小勇 三十一年三月

鷲尾町       鈴木つね長女   鈴木小里 二十八年六月
     舞    同   次女   鈴木小直 二十一年一月
          川並与三郎長女  川並しげ 二十六年五月
          武田さと長女   武田はな 二十二年六月
     舞 つゆ 一井五郎兵衛長女 一井ふく 十八年三月
       きみ 石崎卯三郎妹   石崎たみ 二十三年九月

上弁天町 舞    曙ため次女    曙小きみ 十九年五月

月見町  舞    大塚駒吉妹    大塚小夏 十九年六月   
     儀 常松 藤田清次女    藤田つゆ 二十三年三月
          高橋林之助姉   高橋あい 三十年
                   高橋むめ 二十五年十一月
     舞    高橋辰之助妹   高橋いし 十四年十月
     儀    戸主       加藤ます 二十五年
          同        小堀小吟 二十二年十一月    

舞は舞妓、儀は義太夫芸妓、無印は芸妓、一番右は年齢です・

明冶十九年に下河原は祇園に吸収されますが、名妓として、上記の武田はな、さらに上記鈴木小里の娘が鈴木小三で、明冶二十六年の祇園ねりものでは夕しでを演じました。

小三は明冶二十八年の祇園芸妓番付で西の大関に選ばれています。さらに後日鈴木吟という名で井上流の大師匠となり、後進の育成に当りました。

長い祇園芸妓史においても、小三の様に美妓で舞の名手というのは中々いないものです。

現在下河原は格式のある旅館や料亭が点在する観光コースになっています。つい最近まで、上弁天町にお茶屋の監察がかかったお宅がありました。

参照:明冶文化と明石博高翁、田中緑江・猥褻風俗辞典、宮武外骨・日本花街史、明田鉄男、京都遊廓見聞録・京を語る会、田中泰彦編

下河原の山根子 後篇_f0347663_11354446.jpg
               明治二十六年の祇園ねりもので夕しでを演じた時の鈴木小三


by gionchoubu | 2015-05-01 11:37 | 京都の花街・遊廓 | Comments(2)
Commented by 番太郎 at 2015-05-01 18:10 x
今や観光スポットの石塀小路は昔はヤトナが出入りする桃色地帯だったのではと勘繰ってます(笑 めかけさんが住んでいたとか。
Commented by gionchoubu at 2015-05-02 11:47
かつて下河原の名菓椿餅と小路をはさんで新研見番京東山がありましたので、擬似芸妓の本拠地だったようです。
すぐ東の安井の方にヤトナ倶楽部がたくさんありました。