人気ブログランキング | 話題のタグを見る


花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ

全体
上七軒
遊郭・花街あれこれ
先斗町
宮川町
ねりもの Gion Nerimono
舞妓・芸妓
祇園東
五番町
雇仲居
京都の花街・遊廓
遊廓、花街の類形
亡くなった山陰の游所
亡くなった大阪の游所
亡くなった滋賀の遊郭
五条楽園
私娼
島原遊郭
祇園
パンパン、赤線
島原、輪違屋太夫 賛姿語録
*リンク
亡くなった奈良の遊廓
亡くなった兵庫の游所
亡くなった東海の花街
亡くなったその他の遊所
亡くなった日本の遊郭
亡くなった四国の游所
未分類

以前の記事

2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 01月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月

お気に入りブログ

最新のコメント

> 花月さん 私も気を..
by gionchoubu at 15:53
ぞめき様 お返事ありが..
by 花月 at 13:14
> 花月さん コメント..
by gionchoubu at 23:52
初めまして、角屋の建築に..
by 花月 at 02:02
お返事ありがとうございま..
by kinsan at 18:15
> kinsanさん ..
by gionchoubu at 21:56
上京の雇中居倶楽部はどこ..
by kinsan at 17:51
> ケルシーさん コメ..
by gionchoubu at 07:51
すみません、最近にぞめき..
by ケルシー at 00:47
気になって町名を調べまし..
by 箕山 at 19:33

メモ帳

最新のトラックバック

美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

昭和33年12月の京都府の旧赤線
at 2022-05-27 22:57
西木屋町 乙女倶楽部 その三
at 2022-05-23 09:43
西木屋町 乙女倶楽部 その二
at 2022-05-20 10:24
西木屋町 乙女倶楽部 その一
at 2022-05-06 12:45
甲府若松町の花街
at 2022-04-12 21:04

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
近畿

画像一覧

下河原の山根子 前篇

下河原の山根子 前篇_f0347663_12015893.jpg
下河原通り。かつてのお茶屋、迦陵頻(かりょうびん)より八坂神社を臨む。

下河原の由来はこの地を流れる菊渓(きくたに)川と轟川の氾濫で土壌が出来たからとも、真葛ケ原の下手で下河原になったとも言われています。高名な料亭、菊乃井は菊渓川の上流にはかつて自然の菊が群生しており、菊の香を含んだ井戸が由来といいます。又、菊渓川は途中から暗渠になっていますが、菊渓川が下に流れる旅館、元奈古さん等は、市に土地の使用料を払っています。

下河原には秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)、ねねが高台寺に住み、その遊芸好きゆえ、毎日の様に舞や芸を楽しみましたので、この附近には舞芸の達者な者達が移り住みました。

ねねが寛永元年(1624)亡くなると、この女達が下河原の山根子と呼ばれる町芸者となって、近くの寺が設けた屋敷などで舞を披露しました。

京都の島原や江戸の吉原に芸妓が現れたのが宝暦年間(1751~1763)といいますから、山根子達のほうが古いわけで、何といっても、廓芸者とは違う格式の高さといったものがありました。芸妓と違い花代は貰わず、扇料として祝儀を貰い、座敷へ呼ばれても、お客に挨拶もせず、客の上座に座り、顔見知りなら「ご機嫌さん」と口を切ったといいます。

明和(1764~1771)の時分から、也阿弥、左阿弥、眼阿弥、正阿弥、重阿弥、連阿弥という六阿弥(ろくあみ)などの寺が所有の席貸を中心に山根子たちは呼ばれました。その少し後、初世の井上八千代が最初に舞を指導したのがこの山根子たちでした。

安永九年(1780)刊の『都名所図絵』に「下河原はむかし雲居寺の北より谷川流れ出て一面の河原なり。驟雨の時は満水して下流にては宮川と号し、鴨川に流れ入るなり。何れの世よりか山崩れて川を埋み、高楼飛観軒端をつらね、歌舞の妓婦花やかに出立て」と記されております。

余談ですが宮川町の宮川とは、四条、五条間の鴨川が由来といわれていますが、菊渓川が所以かもしれません。

寛政十一年(1799)刊の『京林泉名所図絵』に下河原舞の会として、結構な広さの座敷で蝋燭を灯かりに、三味線で舞う山根子の姿が描かれています。客も侍、僧侶、や裕福そうな町人、女性客も沢山います。

『近世風俗史』に「山猫 芸子の一種なり。祇園社背ろにあり。故に山猫と目す。三絃の皮、猫皮を良とす。故に山猫と言ふ。常の方言なり。東山に住む弾妓なる故に山猫と云ふなり。」私はごく単純に考えて、山根子は山猫が転化したものだと思います。

山根子というと、これについて触れたものはどれもこれも、芸達者で、品行方正な芸能集団といった調子でかかれ、私なんかでも、日本の花街史にそよぐ一服の涼風として、その姿に憧憬の念を持っていたものです。

ところが、宮武外骨が紹介した『高安澄信翁筆記』に、「円山の茶屋へ諸山の坊主内々にて遊びに行く時、下河原より、配膳の女来りて取持ち、その坊主と床入りする。坊主は女を犯す事ならぬゆえ、猫を抱いて寝ると言うなり。なお円山の猫ゆえ山猫と言うなり。また昼は配膳にて夜は遊女と化けて出るゆえ、斯く言うなり」

ごく一部の山根子とほんの少数のお坊さんの所業とは思いますが、歴史を硬直な目で見て、疑いも無く二百年以上品行方正たれ、と決め付けるのもどういったものかと・・・

「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、猫が下駄はいて絞りの浴衣でくるものか」

という俗謡が寛政時代にはやりましたが、猫という言葉は江戸の町でも天保以前から芸者の異名として使われました。


by gionchoubu | 2015-04-29 12:04 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)