花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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五条楽園ぞめき その九
現在、この風景を見ることはありません。
昭和四十四年の五条楽園を歩いて見ます。
先ずは五条側、平居町の弁天湯のある筋から入ります。右側入り口の右に見えるのは葛城旅館で、一軒置いて高瀬川会館というスタンド街、よし子、福ちゃん、お多福などのお店が並びます。
以前はこの筋の入り口に、アーチに大きく七条新地と浮かび上がるネオンがあり目を引いたのですが、いつの間にか無くなりました。
その先、右側最初の路地の角は大江山というお寿司屋さんで、其の隣りが丸いステンドグラスが三つ、カフェー調のお茶屋あさひです。二番目の路地の角が栄楼で一軒置いて菊加ばし、そのまま南に進めば友キ、井上、本池中などのお茶屋さんが続き五条会館を右に見ながら下れば、扇家、鈴江、助六、成駒、平安クラブと続いて、一番奥が末広です。
左側の入り口は出光興産のガレージで、次が旅館浅とみでそのお隣がサロン白牡丹、グリル日月、サロン千代鈴で、其の隣が弁天湯とお好み焼きのみどり、その先に銀水、宝船、梅鉢、川代などのお茶屋が佇みます。
かつてのこの筋の入り口辺りには木下楼という三層の貸座敷が灯をともし、今は旅館の浅とみも元は貸座敷、さらに北一雲明楼という貸座敷もありました。
次に西木屋町通りの北から、左に高瀬川を見ながら、歩けば、ひょうたん、月の家、多喜、江戸花、春駒、寿美、三日月、羽衣というお茶屋街、その先はちょっと前までニコニコ倶楽部という置屋さんが有ったのですが、今はガレージです。もともと京都では~倶楽部は雇仲居の派遣業者がこう名乗るのですが、ここでは置屋さんをこういいます。戦前の名簿を見たことがあったのですが、七条新地にやとな倶楽部は無かったはずです。
五条にもどり、都市(といち)町から木屋町通りを南へ下ります。この町は明冶に遊廓地から外れたのでお茶屋は一軒もありません。まず入り口附近に五条小橋派出所があります。
すぐ大きな榎が聳え立ち、さらに進むと金光教の教会があります。西日本の遊廓の近くによく金光教さんを見かけるので、芸、娼妓さんの信仰を集めたのかもしれないと思い、これに詳しい大学の図書館で調べた事があるのですが、金光教側の資料からは、関連付けるものを探すことは出来ませんでした。
すぐ先に公衆トイレがあり、ここからが八ツ柳町です。ここから鴨川に向かって一梅、しぼり荘があり、鴨川一つ東の南北の筋に花びし、美はる、ピンクタイルが素敵な孔雀というお茶屋と福ノ家クラブという置屋があります。
高瀬川に戻り、公衆トイレの東にあるのがお茶屋の岡崎で、その先が大茶屋本家三友です、これだけの大茶屋は日本中探したってそうお目にかかれるものではありません。
高瀬川に沿って、ミヤコ倶楽部、お茶屋花幸、旅館花園、しばらく素人さんのお宅が続いて二軒のお茶屋の先が梅湯です。ここから東に向かい、最初の路地を南に下がれば東側に旅館吉はつ、たこ初食堂、お茶屋寿、池中、第二山本、西側には旅館増福があります。
吉はつさんの所を北に上がれば、西側に八千代、富美家があり三友さんのもう一つの玄関が見えてきます。東側はお茶屋谷梅、旅館好成楼です。
波止土濃町の筋には北から南へ、西側がお茶屋花柳、東側が森田、川崎クラブ、石江があり、その他八ツ柳の鴨川沿いに銀柳、まつやのお茶屋があります。
五条楽園の東南が菊屋町で、旅館平岩荘、お茶屋は三友支店、さがのがあります。もう一つ、任天堂のある平岡町の北に新池中というお茶屋があります。
わりにきつい春雨の中、少し早歩きで巡りました。見逃したお茶屋さん、倶楽部があったらごめんなさい。
by gionchoubu
| 2015-04-24 11:59
| 五条楽園
|
Comments(2)
Commented
by
今紫
at 2015-04-24 19:58
x
花街ぞめき様
はじめまして、今紫と申します。そちら様のブログを毎回拝読しております。五条楽園は数回歩いたことがあります。五条楽園を初めて知ったのは渡会恵介氏の『京の花街』です。初めて町を歩き怖い空気が漂っていました。地元の人もむやみに歩かない方がいい申しておりました。当時、通学していた学校の先生も「あそこはいかがわし所よ」と同じことを申しておりました。のちに五条楽園に関する本を見るとそのとおりであることを知りました。
あれから五条楽園が摘発、解散されてから空気が変わり近寄りがたい雰囲気が薄れ歩きやすくなりました。(地元の皆様には申し訳ありませんが)でも「浅とみ」の建物は無くなり残念です! 幸いに他の建物が多く残っておりますが今後の課題になるのではないでしょうか。嶋原、五番町、宮川町ではほとんど残っていない遊廓(赤線)建築の保存、修理、復元(復原)を望みます。これは当時の遊廓の歴史を伝える生き証人であります。
おしまいに五条楽園の景観に関するリンクを見つけましたので載せます。
旧五條楽園の景観保全と活性化
http://www.cpij-kansai.jp/cmt_kenhap/top/2013/02.pdf&ved=0CB8QFjAB&usg=AFQjCNHVfesLe1ckFOEyMlkM3NlvscOkzg&sig2=pmcC6LCvZ91TMveJLDc_-A
これからの活躍と執筆を心より応援申し上げます。
はじめまして、今紫と申します。そちら様のブログを毎回拝読しております。五条楽園は数回歩いたことがあります。五条楽園を初めて知ったのは渡会恵介氏の『京の花街』です。初めて町を歩き怖い空気が漂っていました。地元の人もむやみに歩かない方がいい申しておりました。当時、通学していた学校の先生も「あそこはいかがわし所よ」と同じことを申しておりました。のちに五条楽園に関する本を見るとそのとおりであることを知りました。
あれから五条楽園が摘発、解散されてから空気が変わり近寄りがたい雰囲気が薄れ歩きやすくなりました。(地元の皆様には申し訳ありませんが)でも「浅とみ」の建物は無くなり残念です! 幸いに他の建物が多く残っておりますが今後の課題になるのではないでしょうか。嶋原、五番町、宮川町ではほとんど残っていない遊廓(赤線)建築の保存、修理、復元(復原)を望みます。これは当時の遊廓の歴史を伝える生き証人であります。
おしまいに五条楽園の景観に関するリンクを見つけましたので載せます。
旧五條楽園の景観保全と活性化
http://www.cpij-kansai.jp/cmt_kenhap/top/2013/02.pdf&ved=0CB8QFjAB&usg=AFQjCNHVfesLe1ckFOEyMlkM3NlvscOkzg&sig2=pmcC6LCvZ91TMveJLDc_-A
これからの活躍と執筆を心より応援申し上げます。
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Commented
by
gionchoubu at 2015-04-25 14:52
>今紫様、コメント有難うございます。
旧五條楽園の景観保全と活性化を読ませていただいて、何人もの方が、かつての七条新地の保全に動いておられ、又、アンケート結果で多くの方が、積極的では無いのでしょうが、保存に賛同されているのを読んで少々驚いています。
現役ではありませんが、福井県の小浜や宮津では、花街の側面が強かったので、ある程度の市民権を持って保存に積極的に働きかけれたと思うのですが、特殊な事情があった五条楽園での動きですので、一層価値があるように思います。
私なんかは、無責任ではありますが、独特の風情を生かし、映画のロケ地としての活用があれば、訪れる人も増え、活性化すると思うのですが・・・
京都市が遊廓、花街から得た税収は莫大なもので、公共建築の何分の一かは、この税金で建てられたはずです。
お隣の八幡市が橋本遊郭を失った際、税収の三分の一を失いました。
五条楽園歌舞練場の修復には、市こそが乗り出すのがあるべき姿だと思います。
旧五條楽園の景観保全と活性化を読ませていただいて、何人もの方が、かつての七条新地の保全に動いておられ、又、アンケート結果で多くの方が、積極的では無いのでしょうが、保存に賛同されているのを読んで少々驚いています。
現役ではありませんが、福井県の小浜や宮津では、花街の側面が強かったので、ある程度の市民権を持って保存に積極的に働きかけれたと思うのですが、特殊な事情があった五条楽園での動きですので、一層価値があるように思います。
私なんかは、無責任ではありますが、独特の風情を生かし、映画のロケ地としての活用があれば、訪れる人も増え、活性化すると思うのですが・・・
京都市が遊廓、花街から得た税収は莫大なもので、公共建築の何分の一かは、この税金で建てられたはずです。
お隣の八幡市が橋本遊郭を失った際、税収の三分の一を失いました。
五条楽園歌舞練場の修復には、市こそが乗り出すのがあるべき姿だと思います。