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五条楽園ぞめき その八

五条楽園ぞめき その八_f0347663_11364273.jpg
それでは明冶以降の七条新地の芸娼妓の数を中心に追ってみます。

明冶五年、業者二百三十四人、娼妓九百七十三人、芸妓三十七人(日本花街史)

明冶十一年出版された大西亀太郎による『都の花競』によれば、下京第二十六区、橋下の部で芸妓の登録なし、娼妓のみで、南京極町に七人、平居町に二十五人の本名と年齢が載ります。十七歳から三十一歳までで、殆どが二十代前半の女性です。

明冶二十八年刊『京都土産』によれば、七条新地に貸座敷百二十九軒、芸妓二十三人、娼妓四百二十一人、屋形(芸娼妓置屋)十五軒、著名貸座敷に友月楼、鈴木、柴田楼、勢国楼が挙げられています。(日本花街史)

『京都坊目誌』に大正元年八月二十三日、京都府令第六号の一節として、七条新地々域が載り、平居町(新寺町に沿いたる表側及び同通以西を省く)、南京極町、聖真子町、八ツ柳町、岩滝町、早尾町、波止土濃町、高宮町、菊屋町、富松町(高宮町に面せる表側)平岡町(高宮町に面せる表側及び菊屋町に面せる表側)の十一町です。

これは前々回載せた地図の南側に菊屋町と高宮町そして富松町と平岡町の一部を加えた区域で、これが、そのまま受け継いだのが五条楽園の区域と思われます。ただし新寺町が分からないので、平井町のどこが外れたのかは不明です。

大正二年『京都坊目誌』によれば、貸座敷二百五十六戸、娼妓九百四十五人、芸妓二十四人同年中の遊客十二万四千九百六十人と有ります。

昭和四年発行の『日本遊里史』によれば、貸座敷二百八、娼妓九百八十八(この統計には七条新地に限らず芸妓数は全くのりません)この娼妓数は、祇園乙部、宮川町、島原、中書島の娼妓合計一千四十七と変わらない数字です。

これがどれほど大きい数字かというと、日本全国で当時の七条新地を凌いだのは東京の新吉原、洲崎、大阪の松島、飛田、五花街(灘波)、神戸の福原、沖縄のチージ、名古屋の旭廓のみという事で分かります。

ただし、是だけの規模でありながら、七条新地が『日本遊廓案内』に収録されなかった理由は分かりません。

昭和九年には業者(貸座敷)二百四十一、娼妓一千三百二十六、芸妓ゼロ
(日本花街史)

昭和三十~三十三年頃に業者百七十九、娼妓六百九十三となり、売防法の実施で遊廓としての七条新地は歴史の幕を閉じました。

この売防法実施の直前に花街研究家の加藤藤吉が『日本花街志』で芸妓がいなく、花街の紋章もないのに、第二部、紋章の研究で七条新地を取り上げたのも不思議です。「市内の浄化運動には毎度その対照とされ、移転運動が起るけれど、花街の業者により、多くの府市の負担がまかなわれている都市だけに簡単には事は渉どらず」と移転問題が現れては業者の反対で消えていた様子が分かります。

当時の七条新地に紋章がなかったのも「極めて消極的な営業政策」をとっており、催す行事もなければ、紋章の制定も必要ないと、加藤藤吉は結論づけました。

この花街としての七条新地を見てみますと、大正の初めに今も残る立派な歌舞練場を建てましたので、芸妓街への検討が当時の幹部の人たちにはあったのでしょうか? 大正十二年の『技芸倶楽部』をみると、七条新地はそれまで舞の流派が、ずっと篠塚流だったことが分かります。

大正の終わりから技芸倶楽部主宰の各遊廓連合競技大会が暫くの間ですが、毎年行なわれ、当時京都の、上七軒、北新地(五番町)、島原、祇園甲部、同乙部、先斗町、宮川町、中書島はこれに参加しているのですが、七条新地のみ「芸妓少数の故とて例に依り参加せなかったが」と、芸の披露は見合わせていました。

当時の七条新地の芸妓さん達が、この不参加を悔しく思い、眠れない夜を過ごしたか、ホッと胸を撫で下ろしたか、今となっては知るすべは有りません。


by gionchoubu | 2015-04-22 11:37 | 五条楽園 | Comments(3)
Commented by 番太郎 at 2015-04-22 14:23 x
七条新地スゴイ規模だったんですね 正面通りの商店街も遊郭のお陰で相当儲けた事でしようね 今は少し活気がない様ですが。
Commented by 植松 at 2015-04-22 20:46 x
七条新地が、売防法ののちは、おやまが新姸芸妓として残ったいきさつがありますね。
もうひとつ、京都特有のヤトナの歴史。
宮川町の元芸妓のおばちゃんから、売防法以前の一見茶屋の話を聞いたことがあります。
Commented by gionchoubu at 2015-04-23 11:02
>番太郎様、一番恩恵を受けたのが、多大な税収を得た京都市、つまり京都市民だと思います。

>植松様、ヤトナに新研芸妓に有芸仲居とかややこしいですね。戦前の京都の雇仲居倶楽部の業者名簿がありますので、ブログで一度書いてみます。