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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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五条楽園ぞめき その五


五条楽園ぞめき その五_f0347663_14582908.jpg
このステンドグラスももう有りません

その後すぐ、享和二年(1802)滝沢馬琴が『羇旅漫録』で七条新地が公許になったばかりの様子を「京にて島原の外御免(公許)の遊女町は五条坂、北野、内野なり。五条坂はあこや株と称す。又近年あらたに免許ありしは祇園、同新地、二条新地、七条河原(新地)等なり。」その外として幾つか挙げた後「御影堂うら、都市町、平居町」と五条橋下を書き連ねています。御影堂うらは南京極町辺りとみて間違いないでしょう。(現在も御影堂町は存続します)
文化年中になると、芸者も七条新地で取り扱いが許され、五条橋下や宮川町、西石垣(さいせき、四条南の鴨川西岸沿い)に七条新地から遊女が出稼ぎに行くようになったとされるのですが、証明するような物は残りません。

この頃の全国の遊所を相撲の番付に摸した『諸国遊所競』では両者ともかなり下の地位で、やや七条が五条より上にいます。京都でこの二箇所を下回る所に、高台寺前、撞木町、清水前、今出川、内の新地、三かん寺、墨ぞめ、しらみの辻(白梅図子)が有りました。

余談になりますが、以前より私自身、この今出川と三かん寺の場所を探しあぐねておりますが全く分かりません。

さて、天保十三年(1842)の全国的な遊所整理で、七条も五条もいったん商売変えたものの、嘉永四年(1851)に再び許可が出て、七条新地はA,Cで営業再開しました。

この後、安政六年(1859)に五条橋下にも正式に遊女屋茶屋渡世の許可がでて、七条新地から移る業者もでてきました。

元治元年(1864)の六月一日、坂本竜馬が江戸の勝海舟の許にいく前、当時おりょうが働いていた七条新地の扇岩という旅館に会いに行き、一時の別れの盃をかわしています。(『反魂香』二より) 又、この年七月、禁門の変で七条新地は焼失しました。


慶応三年(1867)『四方の花』では、尾張屋に芸子17人、遊女七人、笹つる屋に芸子十八人、河合屋に芸子三人、遊女十五人の名が載ります。

明冶六年、五条橋下の平井町に、芸娼妓の手に職を持たす目的で、婦女職工引き立て会社ができ、翌年下京第二十六区女紅場(にょこうば)と改称します。

七条新地の女紅場が五条側にできたと言うことは、明冶になって事実上この二廓は合併していたと見て良いようです。

ただし、正式にこの七条新地と五条橋下が合併したのは『京都遊廓見聞録』では判然としないと、又『日本花街史』ではなぜか、京都府令第六号(京都坊目誌を引用?)大正元年八月二十三日付を合併の日としています。

明冶二十四年三月に七条新地五業新地区域五業取締事務所が出した『組合規約謄本』によれば、明冶十九年府令第三号五業取締規則により七条新地五業組合が発足したことになり、其の区域を聖真子町、岩滝町、早尾町、波止土濃町、八ツ柳町(C郡総て)とD郡の内平居町と南京極町で、七条側のA郡がすっかり抜け落ち、D郡の都市町も遊廓区域からはずれました。

さらに、錦織剛男という方が大阪府民生部総務課に寄贈した謄写版刷りの『京都遊廓年表』によりますと、明冶十九年八月、七条新地を拡大(橋下および竹林図子を合併)取締は平井町巽女工場におく。(日出新聞、八、二十八)とありますので、名実ともこの年に新しい七条新地が誕生と断定していいと思います。(日本花街史も花街史年表ではその旨記載されています)

京都遊廓年表は大阪府立中央図書館と大阪府立中之島図書館に所蔵されています。

ちなみに、竹林図子は竹林院と等善寺の東際、現在の河原町通りの一部となりました。
五条楽園ぞめき その五_f0347663_15005535.jpg

by gionchoubu | 2015-04-16 15:01 | 五条楽園 | Comments(0)