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by gionchoubu
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五条楽園ぞめき その二
吉弥「わしゃナ、かちん(餅)なんば(葱)がえいわいな」
弥次「かちんでも家賃でも頓着はねえ。早くしてくんな」
吉弥「一気に参じるわいな」
このおやま、酒肴を言い付けに下に降りる。後に残りしおやまは、此内、帯びの間から鏡をい出し、行燈の傍へ寄り、顔を直す。やがて下より、銚子盃をい出し、大平(椀)が一人前に一つずつ、広蓋に乗せもちだす。弥次郎肝をつぶし、
弥次「なんだ、大平(ひら)を人別割とは珍しい。京はあたじけねえ(欲深い)所だと聞いたが、こゝらは又豪勢だ」
北八「四百には安いもんだ」
この二人は、酒も肴も揚代の四百の内だと思い、むしょうに安いと褒める
金五「サア一つ上がりなされ」
北八「始めよう。オトトトトト、ひらはなんだ。ハハア、葱にはんぺい(半平)は聞こえたが、こっちでははんぺいを焼くとみえて、真っ黒に焦げていらア」
吉弥「オホホホホ、そりゃかちん(餅)じゃわいな」
こんなやり取りの後、結局弥次さん北さんは、鳥貝の鮨も注文することになったのですが、酒代、肴代はたまた蝋燭代も、当初の四百以外に店から請求されるに及び、約束が違うと揉めますが、なんとか値切って交渉成立しました。
その後、北八は吉弥と床を共にします。深夜になると、吉弥は目を覚まし、北八を起こし、北八の着物を借りてお手洗いにいったまま戻ってきません。
実は吉弥は男の着物を着て、手拭を被り、男客の振りをして逃げてしまったのです。年季半ばでおやまに逃げられるとは抱え主にとって大損害、鬼太りでどてらを着た大男の亭主は、手下をつれ、弥次さん北さんがおやまの欠落の手引きをしたと、二人を縛り上げます。
結局夜が明け、近所の別の同業者の取りなしで、何とか二人は開放されたのでした。
さて、この遊廓での飲食を台の物といいます。『全国遊廓案内』ではくどい程、この遊廓の料金は台の物は別勘定であるとか、ここは酒一本に肴がつくとか書かれているのは、遊廓に於いて、客と店側の大きなトラブルの一つが、この酒、肴が後で請求された時に起こったと容易に想像されます。
尤も、『全国遊廓案内』が出版された昭和の初めは、弥次さん北さんの歩いた東海道の中で、神奈川で込みの所が多かったのですが、静岡、愛知、三重、滋賀、京都は基本酒肴は別料金でした。日本全国で見ると、北関東や東北地方は遊興費に台の物は含まれていましたが、それ以外はだいたい別勘定です。
もう一つ注目したいのは、五条新地の妓がなんとも色気の無い男名である事です。芸妓の男名については以前説明しましたが、ここの遊女が男名であるのは、五条橋下を含む七条新地に享保年間に茶屋一軒につき酌人二名、見習女を置く事が認められたのですが、それ以上の女を抱える時、楼主はあたかも下男を抱えているように男名で役所に届けて、表面上辻褄を合わせたとも考えられます。
by gionchoubu
| 2015-04-10 12:01
| 五条楽園
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