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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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五条楽園ぞめき その一

五条楽園ぞめき その一_f0347663_17092960.jpg
十返舎一九によって享和二年(1802)に初編が出された『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん北さんが五条橋下遊廓で遊びました。五条楽園の前身である五条橋下の遊里は誕生から最後まで、庶民の遊ぶ所だったようです。

弥次北八は、思いもよらず五条の橋に来り、忌々しい番狂わせな目に会うたと、小言を言いながら、橋を向うに渡り、其処此処とまごつくうち、往来の賑やかなるに浮かれて、思わずも、橋の袂を、左の方へ浮かれ行くと、何かはしらず、両側に掛行燈、軒毎に照らし、三味線の音賑わしく、ぞめき歌に、頬かぶりせし男共の、ちらつくに紛れて、覗き歩く、この所は五条新地とて、少しの流れを汲む遊所。

家ごとに門の戸をたてたるが、潜りばかりを開きて、門口に立たる女の、ささやかなる拵えて、モシナモシナと、弥次郎が袖を引くに、振り返りて、潜り戸の内を見れば、見世付のおやま(遊女)並びたりけるにぞ

弥次「ナント北八、こゝはおやま屋と見えるが、いっその腐れに、今宵はこゝに泊まりはどうだ。」

北八「いかさま、何も荷物はなし、まん(運)直しに、そんな事も野暮でねえ。」

女「サア、入りんかいな」

弥次「入る事は入ろうが、こゝはいくらだ」

女「オゝ堅やの(賢い)。お泊りなはるかいな」

弥次「もちろんさ」

女「まだ初夜前じゃさかい、七匁ヅヽおくれんかいな」

北八「上方のお山は、値切って買うということだ。半分に負からねえか」

弥次「何かなし四百ヅヽなら、泊まっていこう。それで出来ずば、御縁がねえと諦めようさ」

女「よござります。お入りなされ」

北八「それでいゝの。丁度おやまさんも二人あらァ」

この家に上がると、女が二階へ案内するに、屋根の低き二階にて、弥次郎頭をこっつり

弥次「あ痛しこ」

北八「どうした」

女「オホホホホホ、お危なうござんす」

煙草盆を持ってくる。此内おやまふたり、一人名は吉弥、今一人は金五、いづれも太織紬様の着物に、黒ビロウドの半襟、梁のつかえる程低き二階を。しゃんと立って歩くしろもの、片手に着物の褄を、横の方へ引き上げて来たり、「オオしんど」と言って座る。

『近世風俗志』で喜田川守貞も“京坂の芸子、官許・非官許の色町ともにはなはだ不礼なり。まず楼に来たりて路の遠近ともに「をゝしんど」と云う。遠といへども二、三町に過ぎず。如何ぞ辛動のことあらんや”と多少おかんむりの様子です。

近世風俗志が書かれたのは天保八年(1842)以後なので、大阪や京都で、当初遊女が「おおしんど」を口癖に座敷に現れるのを、後に芸妓が真似るようになったと考えられますが、それにしても遊客にとっては気のいい台詞ではありませんね。


by gionchoubu | 2015-04-08 17:10 | 五条楽園 | Comments(2)
Commented by 番太郎 at 2015-04-09 12:59 x
大変勉強?になります 北野下の森には非人小屋もありましたがそこの女が遊女になった可能性はあるのでしょうか 五条新地も大仏前と近いです。
Commented by gionchoubu at 2015-04-10 15:25
番太郎様 コメント有難うございます。私の考えでは、遊女は、女衒という人たちが地方にネットワークをはり、貧しい農家などから、口減らしや、生活苦の家庭から送り込まれたと思います。
江戸期、茶屋株すら持たず違法営業をした所に、大仏前、御影堂裏、御霊裏、三韓寺、檀王裏、その他いくつもあったのですが、神社仏閣の門前が多いいのは、門前町は町奉行でなく、寺社奉行の管轄だったので、多少取り締まりが緩かったのではないかと想像しますが、違うかもしれません。