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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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朝代遊郭 前編

朝代遊郭 前編_f0347663_12343426.jpg
「これだから朝代通いはやめられない」という声が聞こえてきそうな素晴らしい写真。昭和十年代の朝代の芸妓とお客。

明冶三十四年刊『舞鶴案内』に
「桂林寺下より朝代神社前通りにいたる数丁の間を朝代新地とす、明冶二十一
年初めて指定地となる。現下在る所の貸座敷三十八戸、芸娼妓殆ど二百人、軍港要塞の施設共に益繁栄を加ふ。」と開設当時から朝代は娼妓のいる遊郭であり、芸妓がいる花街でした

同書の劇場の項には「朝代新地に在るものを縦楽座とし、鎮守府街道にあるも
のを舞鶴座とす。舞鶴座は明治三十一年の新築にして、縦楽座は本年を以って
改築される」としています。

『舞鶴市西地区歴史的建造物調査報告書』に「この朝代遊廓の立地について考
えると、この朝代は城下町田辺の端部に位置しており、西には愛宕山がせまっている。また愛宕山に沿って桂林寺などの寺院が位置している。近世城下町において寺町や花街を形成し、城下を囲む結界領域にするという手法はしばしば行なわれている。朝代に花街が形成されたのは前述したように明冶21年だが、明冶時代になってもまだ花街は市街地の周縁部に位置させるという手法が受け入れられているという点で興味深い」と書かれています。

そして「現在この地に残っている町家の多くは本二階になっており、他の地域の町屋と比べて軒の高い町並みなっている。このように軒の高い家は京都の祇園の町並みに代表される様に、御茶屋などに多い形式である」との指摘もあります。

大正十二年刊『舞鶴』に「西山公園の麓北は桂林寺下から南は朝代神社の下に到る一帯に一廓をなして居るのが朝代遊廓である、明冶二十三年八遊廓指定地となったもので現在では貸座敷業五十四戸、芸妓七十一名、娼妓六十九名で何れも尤物揃ひである。同廓に送り営業で、新舞鶴の龍宮新地、中舞鶴の加津良遊廓は店張り営業で夫れぞれ特色を発揮して居るが、舞鶴の朝代遊郭は一番古い廓として繁栄を続けて居る。」

舞鶴には、同時に三箇所の遊廓が存在し得たのですが、やはりそれは鎮守府が置かれた海軍都市という性格によるものが大きいのでしょう。そしてもう一つ、この三箇所が一つの市ながら、お互いかなりの距離を持つことが出来た都市構造にも拠るものと思われます。

尚、『舞鶴』引用部分の送り営業とは、芸娼妓を置屋から派遣してもらう事で、
一方、店張り営業とは、娼妓のいる店にお客が入るわけで、一般に送り込みのほうが、居稼(店張り)より上等とされており、加津良、龍宮は軍港型の遊郭で、朝代は、所謂売防法の後も、純然たる花街として存在したのは、海軍以外に地元の旦那衆が支えていたという見方も出来ると思います。

『全国遊廓案内』に朝代遊郭は載っておらず、龍宮は居稼ぎ、中舞鶴(加津良)は送り込みとなっていますが、私は舞鶴町役場が編集した『舞鶴』の通り。加津良はお客が遊女屋へ通う居稼だったと思っています。

朝代遊郭 前編_f0347663_12361615.jpg
   昭和十年代の朝代の歌舞練場の様子。当時は花街の象徴たる歌舞練場が朝代にあった様です。
by gionchoubu | 2015-03-31 12:39 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)