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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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遊里におけるお歯黒 その四

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                       御手洗の芸妓衆

広島県の瀬戸内海に浮かぶ御手洗(みたらい)島は、天然の良港があり、江戸期には、北前船、千石船の寄港地として、又参勤交代の大名及び家中が立ち寄る海駅として大変賑わい、汐待ち、風待ちの船がかりに対し、船員の慰安の地としての遊女屋がありました。

昭和の始めに出版された『全国遊廓案内』に載ることはありませんでしたが、同時期出された『日本遊里史』の付録、日本全国遊廓一覧には、貸座敷7、娼妓数35人の記録があります。ここで切なくも、怖ろしい「おはぐろ事件」が起きたのですが、この物語は次回にまわし、この港町の遊里について前田銀松氏の言葉を借りて紹介させて頂きます。

参勤交代で御手洗を訪れた西国大名は多いいのですが、鹿児島、熊本、長州、中津、延岡、小倉、福岡、宇和島、大洲なども各藩は船宿を持ち、特に細川肥後藩は一夜千金の黄金を撒き散らし、今でもこの地での語り草になっています。

明和五年(1768)の記録には人口五百四十三人の内遊女が百二十人から百三十人を占め、今も残る若胡屋を始め、海老屋、藤屋、堺屋などの遊女屋が軒を並べていました。

小さい町というのもあって、町民、遊女の区別の見方はなく、お互い親近感を持ち、町の祭礼、行事には遊女が参加して彩りを添えるので、近郊近在からの見物客で一層賑いました。

御手洗の住吉神社の玉垣には遊女が寄進したものも多く、扇屋内、もろこし、花むらさき、堺屋内、ひな絹、志な川、若胡子屋内、小米、名山、二葉屋内、子楽、富田屋内、小三、中津屋内、しきたま、富士屋内、吉勢川などの遊女の名が刻まれています。

御手洗の遊女には、揚屋で接待したオカゲイシャと、以前紹介したオチョロ舟で漕ぎつけるオキゲイシャがあり、オカゲイシャは茶。生け花、三絃、琴、唄などの技芸作法が必須だったので、船頭や船主を顧客にしたものでありましょう。オキゲイシャは衣服のつくろい、洗濯などもこなしたといいますので、船員の一夜妻を勤めたのでしょう。

遊女屋は馴染み客の獲得が必要条件だったので、馴染み客を他の遊女が横取りすると、仲間からすさまじい折檻を受けました。俗にこのリンチを成敗と称し、横取りした遊女を裸にして柱にくくりつけ見世物にし、抱え主が一言でもこれに干渉しようものなら、一同店つきせずというストライキで対抗しました。

御手洗が大いに栄えたのは江戸期で、明治十年から日清戦争以後は昔日の繁栄は陰をひそめ、それでも戦後まで細々ながら、遊女屋は渡世を続けました。
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                         オチョロ舟

遊里におけるお歯黒 その四_f0347663_11465157.jpg
             御手洗の人の廓に対する想いが伝わってきます。あるお宅の軒先にて

by gionchoubu | 2015-03-08 11:49 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)