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遊里におけるお歯黒 その三
『近世風俗史』喜田川守貞著を読めば、お歯黒と遊女の関係がよく分かります。
守貞曰く「京板は官許・非官許ともに、遊女・芸子ともに必ず歯を黒むるなり。年長の者は勿論、十一、二歳の者と云えども、かねつけの客と云いて、赤飯を配り新衣を調へ、その他種々の費を与ふ客あれば、すなわち歯を染むる。これを名誉とすることなり。その客なき時は十五、六にて必ず歯を黒むる。
江戸遊女、吉原は歯を黒め、駅舎および天保に停止ありし岡場所の女郎は必ず白歯なり。年長も白歯なり。江戸芸者は吉原および駅舎・岡場所・江戸市中にある町芸者も皆白歯なり。」
ちょっと補足させていただくと、駅舎とは品川宿や板橋宿などの街道宿のこと、天保に停止は、天保の遊所整理(天保の改革)の事、また岡場所は非官許の遊所を指しています。
江戸時代女僧が遊女化して大都市を中心に一時代を築いた非合法遊女の勧進比丘尼も歯を黒めず「眉を剃らず、白歯を磨き、紅をつけ白粉を粧ひ、月代を中がりにして、男の忌中のごとく異体の者なり」と『近世風俗志』に書かれています。
ただし、文化年間、東京深川の町芸者は、眉をそり、お歯黒にして普通の奥さんを装う風が流行ったと言うのですが、これは色を売る芸者が多く、取締りが激しくなり、自分は立派な亭主持ちをアピールして、これから逃れる手段でした。
船上遊女を記した『志摩のはしりかね』岩田準一著、に明冶初年頃のハシリガネの鉄漿附祝の一部始終が載ります。
志摩地方に於いて、若子が十七歳になると、一人前の女郎衆となる為に鉄漿附祝をしました。この年達すれば、姐女郎は馴染の船頭にその話を持ちかけ、船頭が快諾すれば、この祝に大金(当時で十両)を出してくれました。
当日になると、お歯黒にした若子は肝煎の姐女郎や、大勢の女郎衆と一緒に本船まで迎えにいくと、船からも船頭が船夫を従え陸に上がってきます。
船夫は茜や金色の鉢巻を締め、酒樽をかつぎ、「ゾーラエヤヨヤサノサ」と囃しながら、天保銭をむすびつけた笹葉を振立て進みます。
そして気前良く天保銭や手拭を見物人に撒きながら宿にむかうのですが、その間じゅう女郎衆も陽気に三味線を弾き盛り立てたので、その賑やかなこと。
主役の若子鉄漿をつけた口許に、四つ折にした手拭をあてがい、うれしそうに付いていきました。
宿元では赤飯を炊き、小重箱に盛り、若子の名前を染め抜いた手拭を添え近所に配り、一行が着けば夜通しの宴会になったといいます。
by gionchoubu
| 2015-03-07 11:45
| 遊郭・花街あれこれ
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