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by gionchoubu

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遊里におけるお歯黒 その二

遊里におけるお歯黒 その二_f0347663_12432335.jpg

江戸時代の一般女性の場合、人妻になって眉を剃り落とし、お歯黒にしたのは、既婚であることを一見して分からす事によって世の風儀を守らす効果がありました。

このお歯黒の風習は日本だけでなく、カンボジア、南米の一部、ボルネオ又ロシアにもあったそうですが、これは人種を区別したり、美の象徴として黒歯が好まれたようです。

中山太郎は『売笑三千年史』で、日本のお歯黒は、アイヌ婦人が口辺に入墨をする習俗、琉球婦人の文身の風俗もあわせ、婦人の体内にある経血を除去するという迷信から起こり、もとは百済から伝承されたもの、そのてお歯黒は入墨にとって代わったものだと唱えています。

伊東南堂は『女粧考』に置いて「婦人の歯を染めるは、婚礼定まりて後の事にて、黒色は変ぜざるより、夫婦の間は変わるまじとの義なり。それゆえ歯を染ぬものは狼藉ものなりと古へ言ひし事もあり。」

明眸皓歯という言葉が示すように、つややかな黒歯は美人の条件でもあったわけです。しかしながらその製造保存法は非衛生的なものでした。

お歯黒のつくり方とは、折れた針などを、酢か番茶に浸しておくと鉄分が染み出して黒いドロドロとした液になるり、これをお羽黒壺に貯めておく、歯を染めるときは小皿に取り分け五倍子の粉を混ぜてから鉄漿つけ筆で歯になすりつけた後、水で口をすすぎました。

五倍子の粉はぬるでの病葉を干して粉にしたもので、いわゆるタンニンと呼ばれるものです。

お歯黒と遊里の関係ですが、江戸期、吉原の花魁はお歯黒にしました。何故未婚なのに歯を染めたかは、文献では中々出てこないものの、最後の回に、そのヒントが書かれている、さらにちょっと怖いお話を紹介させて頂きます。

吉原では、時代により、付ける時期が多少違いましたが、新造か袖留(少女時代を脱した遊女)になれば、歯を染めました。

多くの遊女が歯を染めたあと、口を濯いだので、お歯黒どぶという真っ黒などぶが有り、落語の噺にも出てくるのでご存知の方も多いと思います。

さて、江戸期に置いて、一般的に既婚の女性の証しであったお歯黒を何故、祇園や上七軒の舞妓さんが、芸妓さんになる前の二週間前だけ髪をさっこうにしてお歯黒にするのでしょう?

それは、さっこうは昔の若奥さんの髪型、お歯黒も勿論既婚の象徴、舞妓さんは当然、芸妓さんも結婚をすれば、この世界を去らねばならないので、せめてしばし若奥さんの姿を本人に味わってもらいたい、という花街の親心から来ているといいます。


by gionchoubu | 2015-03-05 12:45 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)