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by gionchoubu

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遊里におけるお歯黒 その一

遊里におけるお歯黒 その一_f0347663_12553493.jpg
                   現在でも島原太夫さんは基本お歯黒です。

現在、テレビや映画の時代劇で、男性のお歯黒を見るのは、きっと狡猾に違いない公家が「オホホホ」と扇子を口元に当てながら笑う時ぐらいですが、日本では古代から女性間のみの風習であったお歯黒が、一部の柔弱な男性公家に真似られたのは平安期末期のようです。

高級武士がお歯黒を付け始めたのは、保元、平治の乱あたり、公家の指図で動く大将級の武家で、公家の風に染まったと言えます。特に平家の公達は同上衆に交わり、進んで眉を落としお歯黒をつけ、薄化粧をして、これが女性にもてたという事です。

公家が一種の女性化の傾向でお歯黒をしたと言えるのですが、武士が、その後若武者まで広がりえを見せたのは、戦いで討ち死にし、首を挙げられても見苦しくないように、といった上級武士の見得でもあり、嗜みでもありました。

だから、合戦で討ち取った白歯の首を女中に言いつけお歯黒首にして、恩賞に預かる不届き者まで現れたのです。

しかしながら、織田信長が天下を統一した頃から武士の鉄漿はすたれたので、江戸期においては男性としては公家のみが歯を黒く染め、扇子を口に当て、なにやら宜しくない事にうつつを抜かしていたのかというと、違います。新たな集団が歯を真っ黒に染め始めました。いわゆる陰間と呼ばれた人たちです。

所謂男色の世界には大きな二つの流れがあり、一つは衆道とよばれた武士の世界や僧侶の間など、男性社会から生まれもので、この相手をしたのが、念者、お稚児、お小姓などと呼ばれた少年です。

もう一つは舞台子とも言われていたように、歌舞伎の世界から一種の職業として生まれた流れで、これも女歌舞伎が禁じられ、若衆が女役を勤める若衆歌舞伎の時代に芽をだしました。

舞台子は、白粉や紅で化粧し、つま先にも紅を差し、服装も、態度、言葉遣いまでも女性化し、外見は女性と変わりなかったといいます。

彼等は舞台子、陰間以外にも、色子、飛子、おかま、野郎などの呼び名がありました。

『京の花街』で渡会恵介さんは陰間は部子(へこ)とも呼ばれ、所謂「へこたれる」は、この若衆に金を使い果たして、立ち行かぬはめになった事が語源にあるとおっしゃっています。

参照:「お歯黒」の研究、原三正著


by gionchoubu | 2015-03-03 12:56 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)