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by gionchoubu
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宮津 新浜ぞめき その六

明冶以後の見番は、芸妓のお花代の把握や芸妓の就廃業の手続き、芸妓の出向くお座敷と芸妓の就業配分など、その花街に関する事務管理を行なう機能をもった事務所として存在し、現在の花街にもこの見番は大概備わっているものです。
当然新浜にも見番(検番)はありましたが、江戸期に於ける宮津の見番が、独立した組織というより、『宮津市史』の言葉を借りると、置屋の仲間組織としての独自性をもっていたので、紹介させていただきます。
宮津の見番は専従の番頭・手代などがおらず、町奉行から「看場・線香番」を申し付けられた支配人と置屋が二ヶ月交代で勤める「勤番」と、同じく交代で勤める組頭一人で運営されていました。
線香番とは、時計が無い時代、芸妓の花代の時間を計るのを、線香の燃えつくす数で計っていた事によるもので、線香場というものがありました。
宮津の東新地時代の特異性は、見番が町奉行の支配下にある公的機関としての性格を持っていた事にあります。
見番の芸妓に対する権限は絶大なもので、宮津の場合、芸者置屋からお茶屋に芸妓を派遣するのではなく、置屋がお茶屋をかねており、芸妓は料理屋か、もしくはその置屋で仕事をする場合でも必ず見番を通さねばならず、もしこれを怠ると「花抜売り」として厳しい制裁を受けました。
江戸時代末期に、新浜で起きた主な事件を挙げると、
万延元年(1860)、布袋屋五助がこの「花抜売り」をやり、置屋仲間が町役所に訴えて、五助は過料銭十貫文を仰せつかっています・
文久元年(1861)、またもや布袋屋五助は、置屋仲間が「差障り之客」として一切の付き合いを禁じた「三味曳花次」を座敷に上げ、芸子を付けたので、この時の花代は没収されました。
文久元年十二月、岩滝屋文七のお抱え芸子八重松が、由良屋半蔵という男と「直馴染」をした科で、置屋中間から「提札三十日」を命じられています。直馴染とは、芸子が特定の男と、私的に通じる事で厳禁とされていました。提札とはただ働きの事です。しかし芸子も人間である以上、直馴染はありがちだった様で、由良屋半蔵は、さき松、鶴代という芸子とも直馴染をした証言により、それぞれ提札三日を仰せつかっています。
それにしても、一体この半蔵とやら、いったいどのような色男だったのでしょうか。ちなみに罰が科せられたのは芸子のみのようで、もし半蔵がやり得だったなら、なんというか、私は許せません。
文久二年(1862)、因幡屋ふさが、お抱え芸子梅路を新地の「門外へ花売込み」をした五日間の「押込」の刑を町奉行から申し渡されています。これは宮津に限った事ではなく、免許地以外での芸子、娼妓とも、営業はご法度でした。

by gionchoubu
| 2015-02-27 12:12
| 京都の花街・遊廓
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