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by gionchoubu
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宮津 新浜ぞめき その五

ケラーマンが帰国後、1913(大正二)年、SF小説『トンネル』がベストセラーとなり、世界的名声を得、何度か映画化もされ、この作品に強い影響を得たのが手塚治虫です。
彼の初期の代表作『地帝国の怪人』はまさに『トンネル』にインスパイアーされた作品で、当初、オリジナルに敬意を払い、トンネルの題そのままで発表しようとしたのですが、出版社等に説得され地帝国の怪人で世に出したという経緯があります。
実は筒井康孝氏もこのトンネルを推しております。SF作品は、その性質上時代が経つと人を惹きつけるのは難しいのですが、トンネルは、一連の筒井作品と同様、普遍性を持つ小説といえるのでしょう。
そのケラーマンが、宮津滞在中、いかに踊りを中心とした花街文化に心頭したかは、彼が日本舞踊の手ほどきを小奴や小奴の師匠に受けたことでも分かります。
山中、荒木亭での大尽遊びや師匠と踊り手にマンツーマンでの踊りの指南を受けた経験が後年「僕は日本の土を踏むと、忽ちお茶屋と可愛らしい踊り子たちに、大に惹き附けられてしまって、いくらお金がかゝらうとも構わん、どうしてもお茶屋と踊り子の通人になってしまはうと、覚悟をしたものである。僕はこの決心を実行した。お陰で僕は幾年の間、経済的にとても苦しい身の上となった。」と語らせました。
宮津のキャッチフレーズは“二度と行こまい丹後の宮津、縞の財布が空となる、丹後の宮津でピンと出した”という宮津節の一節で、JR宮津駅でもまずこの言葉で出迎えられるのですが、ケルーマンが、縞の財布を持っていたかどうか分りませんが、まさに宮津節を実践した格好になります。
余談になりますが、宮津の観光資源として、新浜花街、ケラーマン、手塚治虫のライン生かすと、面白いものが出来るかもしれません。
次に、財布が空になるまで、世界的名声を得たドイツ人作家の心に染み入った宮津の新浜の芸の質はどう育まれたのかを考えて見ます。
『宮津市史通史編下』で筆者は明冶五年の『酌取女人員書上帳』と『茶汲女人員書上帳』に酌取女五十一人と茶汲女二十一人の名がかかれており、酌取女が玉助、梅路、花松、八重松等々の源氏名(注・本来源氏名は源氏物語からゆかりの名をつけたもので、芸者は芸名というべき)を持ち、芸者、芸子などともよばれたのに対し、茶汲女は芸名をもたず、芸子とも呼ばれなかったので、遊女であったろうと推測しています。
そして万延元年(1860)から二年の間に「抱え届」のだされた酌取女、茶汲女の主出身地を調べると、酌取女の殆どが京都の祇園、木屋町、新地や寺社門前町から来ている一方、茶汲女の出身地は京都、若狭、越前、丹波、但馬、播磨等々広く抱えられていることを指摘し、宮津の芸子は、京都の芸子、舞妓等の置屋を養親として、その置屋から宮津へ抱えられたのであろうと述べておられます。
この、宮津の花街と京都の花街、特に祇園を結んだ糸は何であったか? 私は所謂天保の改革が関連していると思います。
天保十三年壬寅八月、官命で当時京都(伏見は除く)にあった遊廓の業者は廃業するか、島原に移れという厳命を受け、当時千三百の業者が島原移転を希望したものの、実際移れたのは10%の百三十九戸、遊女、芸者の人数は五百三十三人に過ぎません。
ところがこの布令で、宮津に於いては、宮津町中の業者は新浜に集住するように、というお達しのみで、遊女屋、芸妓屋とも渡世は合法だったのです。それに続くのが万延元年の抱え届けの酌取女の出身地・・・これ以上は書かなくても良いでしょう。
by gionchoubu
| 2015-02-24 14:21
| 京都の花街・遊廓
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