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by gionchoubu
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建仁寺、薬師図子の熊野比丘尼、後編

幕府とて、取り締まりを続けたのですが、手入れがあれば中宿を移す、神出鬼没の比丘尼は町奉行の裏をかき増殖、正徳時代には、茅場町、同心町、浅草御門跡まで勢力を伸ばしたのです。
ところが元文六年、八官町の中宿で、桜田辺の身分のある武士が比丘尼と心中をした事件をきっかけ幕府も本腰をいれてこれに当たり、江戸の比丘尼はほぼ絶滅しました。
当時心中は相対死と呼ばれ、幕府がきついご法度としたもので、万一生き残ろうものなら、非人の世界に落とされました。前述の武士と比丘尼の死体も裸で路傍に捨て置かれ、野犬や烏の餌食になったと言います。
武士にこのような恥辱を与えた比丘尼は絶対許すことは出来ない、という強い
覚悟が一斉取締りの裏にあったのか、比丘尼遊女はほぼ絶滅、寛政九年の『親子草』のも「比丘尼と云うものは今は一向に見当たらず候」と過去の語り草になりました。
比丘尼は眉をそらず、あるいは眉細く墨を引き、お歯黒をせず水晶のような歯を見せ、紅をつけ白粉を粧い、月代を中がりにして、まるで忌中の男のようだ、という記述からみると、その異形はよほど怪しい光を放っていたに違いありません。
又、この風俗が廃れたずっと後に書かれた『近世風俗志』でも『嬉遊笑覧』でも、この比丘尼には項を設けて詳しく考察している所を見ると、この女僧が突然変異のように遊女化した比丘尼に人々の興味は尽きなかったようです。
大阪の舟比丘尼については、ずっと後に踏み込んでみようかと思いますが、今回は建仁寺の南、六波羅蜜寺の西にある薬師図子、南に隣接する山崎町に元禄ごろ色を売った熊野比丘尼に関する記述を原文で紹介します。
『人倫訓蒙図彙(い)』
「哥(うた)比丘尼 もとは清浄の立派にて、熊野を信じて諸方に勧進をしけるが、いつしか衣をりゃくし、歯をみがき、頭をしさいにつゝみて小哥を便に色をうるなり。巧齢暦たるをば御寮と号し、夫に山伏を持、女童の弟子あまたとりて、したえる也。都鄙に有。都は建仁寺町薬師の図子に侍る。皆此末世の誤りなり」
『京雀跡追』
「山さき町 此所よりもくわんじんびくに多く出る所なり。ひがしがわにやくしあり。此づしにとりわけ多し。」
『色道大鏡』の記述に、建仁寺町に周峯、周慶などの比丘尼、さらに京大仏(正面通り山和大路)に祐清という比丘尼の棟梁がいたという話もあります。、鳥辺野の芳の絵図が近世風俗志に載りますので、京大仏、鳥辺野まで勢力を伸ばしていたようです。
参照:趣味史談遊女の時代色、武田完二著


by gionchoubu
| 2015-02-09 14:34
| 京都の花街・遊廓
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